前の形式であって、貧乏だから尼になったのではなく、尼になる年齢になったから尼になったのである。だが、それを一概に笑うておらぬ証拠は、源氏物語にもある。紫の上を死ぬまで尼にせぬ。早く入道したいと頼むが、終わりまでせぬ。源氏の作者は、その点を、利己的だと、源氏が反省するふうにして書いている。泣かんばかりに訴えている。平安朝あたりでは、宗教的に去るところは、仏教の考えが普通の形になるのだが、仏教が社会の根底にならぬうちは、そうではなく、仏教は生活の規範になっておらぬ。その頃は、神のために夫から去るのだと考えている。平安朝では、去る方法として尼になるが、その以前は、神の要求のためだとしている。
 わが国の文学史に現われる女は、上の階級の者か、神に仕えている女に限られている。そういう女は、神に仕えるか、または、神のものであった。だいたい、この推測は外れておらぬと思う。一時、人間の夫をもっていて、また神の所有に帰る。普通の人は、前後は神のもので、中だけが人間のものと考えられる。だから、早く神のものに帰らねばならぬ。それで、夫婦関係のつづいてゆく年限は非常に短かった。
 すると、どうしても代わりの女がなければならぬことになる。神事ですべて解釈できるように、個人は考えられず、族人として考えねばならぬ。妻と言うてもかならず一群の妻である。垂仁天皇の皇后が亡くなられるとき、あとの皇后を推薦される。「汝の堅めたるみづのをひもは誰かも解かむ」という天皇の仰せに答えられるのであるが、これは神事である。ところが、自分とすっかり系統の違う丹波の国の道主の娘が、これをするだろうと言われた。それで、道主の娘五人を召された。記と紀とでは違うが、五人のうち二人は、嫌われて国へ帰る途中、自殺した。それで、この系統にもののけがかかる。平安朝には族人にかかる呪い、すなわち、もののけがあり、呪うて死んでいる。この道主の系統は、後に丹波の八乙女となって残っていて、宮廷と伊勢とに行くことになっている。
 こんなに何人も妃が出てきたということは、姉から妹へしとねが譲られてゆくのである。だから宮廷でも他の家でも、一族の間では、まず嫉妬とみられるものはなかった。ただ一人、允恭天皇の皇后で、天皇と衣通姫とのことを聞いて、おおいに恨まれたということがあるが、これは衣通姫を迫害しているのではなく、夫を恨んでいるだけである。自分
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