ばならぬ。ともかく、辞書ができる以前にすでに、古代の語を集めようとする欲望が日本人にあった。生きていることばではなく、文学語である。そのあらわれが倭名鈔に結びついてできあがった。倭名鈔は中国の辞書の延長ということもあるが、もっと根本には右の欲求があった。
倭名鈔のできたのが、日本の辞書のできはじめではない。日本紀にその名のみえている『新字』も辞書だとすれば、天武天皇の時代で、とび抜けて早くからあったことになるが、それはちょっと信じられない。辞書は、倭名鈔の出るもっと古くからあったと同時に、その時代に通用している語と関係のない、古くからわれわれが持っていたと考えられていた語が、辞書に作られるという傾向が古くからあった。
日本人は、記録せぬということが神聖を保つ手段であると考えていた。だから、長い間記録しないままにきた。そのため、平安朝になって、歌学書のなかに語彙のようなものができてくるという形をとってきたが、それまでになかったわけではない。つまり、日本の辞書に二つの系統があるということである。一つは、純然たる日本の古語を保存しようとする努力。もう一つは、漢字を日本語に移そうとする努力
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