かったり、または、無理に付けたりしている。たとえば『倭名類聚鈔』には、「髭」「鬚」をそれぞれ「上《かみ》つ髭《ひげ》」「下《しも》つ鬚《ひげ》」などと訓んでいるが、こんなことはいわない。日本語としては嘘の話だが、漢字を伝えるためには、このように語を新たに作らなくてはならぬことになる。
ともかく、漢字を出して、それにあたる訓を考えている。これをもう少し歴史的に、一つの過程として考えると、言語を覚えるという、日本人が昔からもっている努力のあらわれということはいえる。
歌ことば
倭名鈔は、醍醐天皇の第四皇女|勤子《きんし》内親王の仰せによって、源[#(ノ)]順が奉ったといわれている。平安朝盛期に源[#(ノ)]為憲の『口遊《くゆう》』という書物――純然たる辞書ではないが、性質は似ている――が出た。つまり、文字を覚えさせるためのものだ。これは近代まで続いている。いまの若い方々が習った書き方の手本や読本には、もうそういう色合いはなくなっていたろうが、私の習った頃は文字ばかりである。文字を覚えることは、同時にことば[#「ことば」に傍点]を覚えることと考えていた。書き方の手本には名詞ば
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