耽つただけの西洋詩の様式や、我国でこと古りた今様や長歌の様式ではなかつた。まづ思想があつて表現を駆使すると言ふ考へ方と結果においては、同じであつた。まづ語あつて、其所に内容が生ずると言つた行き方を、自らとつて居たのである。その語は外国語を以てするのでない限り、――又それは出来る事ではないのだから――民族的な思想内容の深い様に感ぜられる、整頓し理想化した古語及び古語の排列からなる文体が、このときになつて現れて来たのである。だがそれは、初めから一時的なものとしての条件がついてゐたと考へねばならない。つまり藤村の若菜集以下に出て来る文体は、日本人の思想的でない生活のほか感じられない――平安古語を基礎とした文体だつたのである。だからどうしても、も一つ安定した時代が先に考へられてゐたものと見てよい訣である。それは漠然としてわれ/\に考へられる――最「古い語」の時代の語であつた。記・紀などにある語を土台として、その中にそれ以前の語も、勿論それ以後の平安朝、近代の語までも、――学問的にでなく、古語としてある共通な感覚を持たせるものをひつくるめて、一様の古語とし、その古語の中で、民族文芸の憧憬を含んだものを、特に愛執することを知つたのである。即、そこに思想と気分との深い融合を認め得たのである。
われ/\の考へた正しい詩形の時代は、意表外の姿をもつて現れた。それが日本に於ける象徴詩の出現と言ふことになつたのである。その後四十年以上を経てゐるけれど、矢張り日本の詩壇は、依然として象徴詩の時代である。
存外早く定型律破壊を唱道する所謂破調の詩の時代が来た。この長い年月に整理すべきものは整理しながら、やはり昔の象徴詩家が古語によせた情熱と同じものを、今の詩壇の人々の詩語や、文体の上に散見する事が出来る。象徴的な効果のある、言はゞてま[#「てま」に傍点]の代表とも言ふべきものだから、それを離れては作物が意味を失ふと考へられてゐるのである。私どもが詩を読み始めてから、さうした幾百千の語を送迎したか、数へ立てる事も出来ない。又作家自身も、それ程までの効果を考へずに、たゞの語に対する情熱から使ひ捨てたと言ふものも多かつた。もし啓蒙的な新詩語彙と言ふやうなものが出来れば、さういふ語を多く見出し、それらの語の中から、明治以後の詩人がどう言ふ語を好み、どういふ傾向に思想を寄せてゐたかと言ふ事が、手取早く見られると思ふ。
久しく用ゐられてゐる語を少しあげてみると、「しゞま」これに、沈黙・静寂など漢字を宛てゝ天地の無言・絶対の寂寥など言つた思想的な内容までも持たしてゐるが、われ/\は詩の読者として何度この語にゆき合うたか。併し辞書などには、それに似た解釈をしてゐるとしても、其は作家が辞書から得た知識だからである。古い用法では、むしろ宗教的な一種の儀礼である。無言の行とも言ふべき事であり、時としては黙戯を意味してもゐる。併しさう言ふ私自身すらも、沈黙・静寂などの方が正しい第一義である様に感じる程、詩には使ひ古されて来た。
「あこがれ」この語も明治の詩以来古典の用語例が拡げて使はれた。これは「あくがれ」といふ形もあるのであるが、詩語として承け渡した詩人たちは「こがる」と言ふ焦心を表す語に、接頭語あ[#「あ」に傍線]のついたものと感じた為に、「あこがれ」の方ばかり使つた。これは、王朝に著しく見える語で、霊魂の遊離するを言つた。自然、それほどひどく物思ひする場合にも使つてゐる。だから、詩語としての用法は恋愛的に柔かになつてゐるが、特殊な意味を失つてゐる。憧憬といふ宛て字は、半ば当つてゐる。
象徴派風の表現が勢を得てから、「えやみ」(疫)だとか「すゆ」(饐ゆ)など言つた辛い聯想を持つた語が始終使はれた。さうかと思ふと、近代感覚を以て、古語にない語を作つたのもある。運命、宿命などに「さだめ」と言ふ全く一度も使つた事の無い語を創造した。西洋的な情熱を表す必要から、接吻なども、国語で表さうとして、早くから「くちづけ」と言ひ始めて来たが、此も無い語で、寧「くちぶれ」とでも言ふべきところであつた。王朝まで溯る事の出来る用語例は、「くちをすふ」と言ふのもあり、もつと適当な古今に通じた言ひ方は、「くちをよす」或は「くちよせ」であつた。かういふ風に、古語の不穿鑿と、造語欲から出来たものもある。山脈を「やまなみ」と言ふ事は、後に短歌にも広く用ゐられるが、やはり詩が初めであらう。これも語通り山のならび、つゞいてゐる峯を言ふので、山脈に当る語ではなかつた。これは成程勘違ひをしさうな語である。これと同じ意味に於て、特殊な外国語を使つたり、仏《ブツ》語や、東洋語を用ゐたりして、詩語の範囲は拡げられた。象徴派以前からも此風は盛んであつたが、有明・泣菫氏以後甚しくなつた時期がある。言語の異郷趣味[#「異郷趣味」に傍点]を狙つた点に於て、古語も外国語も一つであつた。
一方破調の詩が盛んになつて、むしろ定型によらない事が原則である様になつて来たが、特殊な詩語は絶えては居ない。この破調の詩の行はれる動機になつたものは、小説に於ける自然主義の流行であるが、日本では、かう言ふ風に象徴派と自然派とが対立すると言つた形を取つて来たのが不思議である。外国に必至的なものであつた象徴派・浪漫派の対立は、我国では見る事が出来なかつた。今から考へれば、日本の詩に限り、象徴派が即浪漫派であつたと謂ふ、不思議な姿を見せてゐる。つまり我国では、ろまんちつく[#「ろまんちつく」に傍点]な詩の運動は一足飛びに、理論的に象徴派に入つた事になる。それと共に、岩野泡鳴氏の様に、象徴派と自然派とを同時に歩んで居つた者さへある。併しどちらかと言ふと、我国現在総べての詩人の所属してゐるほど盛んな象徴主義も、やはり大なり小なり自然主義を含んで来てゐる。唯、程度の差を以て作品並びに作家の流派を分ける事になつてゐるのではないか。その意味に於て現在口語ばかりによつて、現実の社会生活・政治意識を表現してゐる一群が、象徴派に対する自然派運動を行ふと言ふ外貌を持つてゐると見るべきであらう。此派の詩は、技巧意識を別にしてゐるのだから、自ら文体に特殊な詩情を見せてゐないが、若し、個々の詩語の効果を没却して省みないと言ふ点があつたら反省してよい。合理的な立場から言へば、当然現代語の構造によつて発想してゆく詩が、有望である筈だが、詩の欲する言語・文体は、必しも今経過しながら在る現代語を以て、最上の表現性能を持つたものと考へる訣にはいかない。われ/\の詩が、当然未来を対象とせなければならない所に、重点を置いて考へれば、詩に於ては、未来語の開拓発見を疎にしてはならない。古典派である私なども、現在語ばかりを以てする詩の稽古もするが、時としてはさうして出来た作物が、まるで裸虫である様な気のする事がある。おそらく多くの場合、現実の観察や批評に過ぎなくて、それにつゞく未来を、その文体から展き出さうとしてゐない点に、詩の喪失があるのであらう。私の話は、詩語としての古語を肯定した。併しこれは、最近までの歴史上の事実の肯定に過ぎない。そしてつゞいて、詩に於ける現在語並びにその文体を悲観して来た。併しこれは、未来語発想と言ふことを土台として考へる時、もつと意義を持つて来る。単なる現代語は、現代の生活を構成するに適してゐる、と言ふ様な合理論に満足出来ぬのである。未来語の出て来る土台として現在語を考へるのである。未来詩語・未来文体はどうして現れて来るか。これも空想としてやり過したくない。必過去半世紀に渉る日本詩人たちの努力が、無意識ながらさうした方向に向いてゐただらう。それで、その暗示らしいものを生してゆくのが、最正しい道だらう。
こゝに到つて、私は最痛切に悲観した飜訳詩体を意味あるものとして、とりあげねばならなくなつた。飜訳詩を目安として、新しい詩を展示しようとしてゐる詩人たちの努力を無にせずにすむのである。詩の未来文体の模型として、詩人の大半が努力してゐるのが飜訳詩である。原作に対する飜訳者の理会力が、どんな場合にもものを言ふが、その理会が完全に日本語にうつして表現せられた場合は、そこに日本の詩が生れる訣である。「海潮音」に示された上田敏さんの外国詩に対する理会と、日本的な表現力は、多くの象徴詩などをすつかり日本の詩にしてしまつた。
[#ここから2字下げ]
流れの岸の一もとは
み空の色のみづあさぎ
波こと/″\くくちづけし
波こと/″\く忘れゆく
[#ここで字下げ終わり]
われ人と共に、すぐれた訳詩だと賞讃したものであるが、飜訳技術の巧みな事は勿論だが、其所には原詩の色も香も、すつかり日本化せられて残つた憾みが深い。詩の語の持つてゐる国境性を、完全に理会させながら、原詩の意義を会得する事を以てわれ/\は足るとしなければならぬ。飜訳せられる対象は、勿論文学であるけれど、飜訳技術は文学である必要はない。飜訳文そのものが文学になる先に、原作の語学的理会と、その国語の個性的な陰翳を没却するものであつてはならない。上田敏さんの技術は感服に堪へぬが、文学を飜訳して、文学を生み出した所に問題がある。われ/\は外国詩を理会するための飜訳は別として、今の場合日本の詩の新しい発想法を発見するために、新しい文体を築く手段として、さうした完全な飜訳文の多くを得て、それらの模型によつて、多くの詩を作り、その結果新しい詩を築いて行くと言ふ事を考へてゐるのである。それならば、原詩をそのまゝ模型とするのが正しいと言ふ人もあらうし、私もさうは思ふが、併しそれでは、日本の詩を作るのでなく、その国々の語を以て作る外国詩で、結局日本の詩ではない。
私が、かうした詩語詩体論をする理由は、明治十年度から試みはじめられた詩は、結局新しい未来詩を発見する為の努力であつたはずである。ところがそれを発見する事が出来ず、発見する道程として、積んで来た努力は、一歩々々新しい詩体に近づかうとして、こゝに凡それを捉へる時期に到達したのである。こゝでわれ/\の前に横はつてゐるものは、飜訳せられた外国詩の多くであつて、これが日本の詩のおもむくべき方向を示してゐるものと言ふ事に考へ到る訣である。外国詩の内容を内容とするに至つて、外国詩の様式を様式とし、自ら孕まれる内容こそ思ふべきものなのである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「現代詩講座 第二巻」
1950(昭和25)年5月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十五年五月刊「現代詩講座」第二巻」はファイル末の「初出」欄に移しました
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年8月10日作成
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