させるのは何によるのか。直観的にわれ/\はまづ嫌悪を感じる。それはまだ詩の文体を発見しない時代であり、既に発見して居ても、平俗なばらつど[#「ばらつど」に傍点]――日本的に言へばくどき節――の臭気をさへ深く帯びて居た。語の排列が、独立した文体の感覚を起させれば、詩としての基礎と、更に詩としての価値の半分は出来上つてゐるのだと言ふ反省などは、持つ事の出来ない時代であつた。ある人々は、七五・四行の今様を準拠としようとし、ある人々は、五七連節の長歌によらうとした外は、漠然と西洋詩型に、生命を托しようとした。併し日本語をば西洋詩型に入れようとする事が、どう言ふ意味を持つてゐるか、さう言ふことの思はれない啓蒙期であつた。詩は発想であり、思想をまづ生活化してその生活の律動によつて、新しい詩型は生れる筈だつたが、それを考へる事すらしなかつた初めの詩体は、決して初めの時代だけに終らなかつた。晩翠が出て初期の詩形をある点まで急速に敷衍し、整頓して、ある一つの決着をつけた。其と共に、藤村は新しい詩の内容が、詩形を胎んで来る事を、ある程度まで実際に示して、若い日本の詩の世界を、喜びの有頂天にひき上げた。藤村
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