来るものも、あなくろにずむ[#「あなくろにずむ」に傍線]と言い棄てられぬことが多い。語自身が論理的でないことを示すようなものではない。言いかえれば、一種えきぞちっく[#「えきぞちっく」に傍線]な感情を持たせること、又それよりはもっと正しげに見える詩の古くからの習慣から割合いに高く評価せられて来た、其反感から、結果として逆に古語による文体は、実質以上に軽蔑《けいべつ》せられている。併し現代語で――例えば中世以前の抒情詩を書く事は、論理的には正しくない様に見えるにかかわらず、今の詩人は多く之を正しいものと認めるだろう。それは今人としての有力な一つの表現様式の文体であるから、拒む理由が無いのである。われわれが現実詩をば、古語・中世語又は、近古語で列《つら》ねるのも、其と同じ事で、やはり一つの文体として認めねばならぬ。そこにあなくろにずむ[#「あなくろにずむ」に傍線]を考えるのは、第一国語としての錯誤感を及して来る訣なのである。古語が詩の文体の基礎として勢力を持った事が長く、詩は此による外はないとまで思われていた時期があまり続いたのである。古語表現を否定しようとするのは、その長い圧倒的な古語の
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