日本化せられて残った憾《うら》みが深い。詩の言葉の持っている国境性を、完全に理会させながら、原詩の意義を会得する事を以てわれわれは足りるとしなければならぬ。翻訳せられる対象は、勿論文学であるけれど、翻訳技術は文学である必要はない。翻訳文そのものが文学になる先に、原作の語学的理会と、その国語の個性的な陰翳《いんえい》を没却するものであってはならない。上田敏さんの技術は感服に堪えぬが、文学を翻訳して、文学を生み出した所に問題がある。われわれは外国詩を理会するための翻訳は別として、今の場合日本の詩の新しい発想法を発見するために、新しい文体を築く手段として、そうした完全な翻訳文の多くを得て、それらの模型によって、多くの詩を作り、その結果新しい詩を築いて行くと言う事を考えているのである。それならば、原詩をそのまま模型とするのが正しいと言う人もあろうし、私もそうは思うが、併しそれでは、日本の詩を作るのでなく、その国々の言葉を以て作る外国詩で、結局日本の詩ではない。私が、こうした詩語詩体論をする理由は、明治十年度から試みはじめられた詩は、結局新しい未来詩を発見する為の努力であったはずである。ところがそれを発見する事が出来ず、発見する道程として、積んで来た努力は、一歩一歩新しい詩体に近づこうとして、ここに凡《およそ》それを捉える時期に到達したのである。ここでわれわれの前に横わっているものは、翻訳せられた外国詩の多くであって、これが日本の詩のおもむくべき方向を示しているものと言う事に考え到る訣である。外国詩の内容を内容とするに至って、外国詩の様式を様式とし、自ら孕《はら》まれる内容こそ思うべきものなのである。



底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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