ると、戲作者氣どりが鼻につくし、速記物を讀むと、水際立つた所のないうぢやけた物だ。こんな物は、圓朝を傳へる事が出來ない。圓朝は、傳説と空想との世界にのみ、立派になつて行く人であらう。
私は、民俗藝術は、藝術でない所に意義があるのだと考へて來た。藝術化したら、其は單に平凡な藝術なのだと主張して來た。曾我廼家喜劇や、講釋物の藝術としての價値の乏しいのも、當座きりの昂奮の有無以外に、其處に意味があると考へる。にも拘らず極端には、更に優れた、偶然の天稟を持つた人があつて、近松の樣な作物を殘すのだとも考へてゐる。大衆作家は、藝術と讀み物との二道に趺をかけ過ぎてゐる。最よい手本が、中里介山さんに見られる。大菩薩峠が、都新聞の讀者ばかりに喜ばれてゐた間は、藝術意識から自由でゐたゞけに、其處に自然の藝術味が滲み出てゐた。世間がかれこれ言ひ出す樣になつてから、急に不思議な意識が加つて來て、序に藝術味なども、吹き飛して了うた感がある。
無定見な讀者の一人なる私は、偶に月評家の意見を聽いて、駿馬を相しようと言ふ無駄骨折りを助からうとする。さうして、ぼつ/″\新進作家の作物を讀んで行く。此誌上で言ふのは、甚申しわけないが、「改造」・「中央公論」などの作物選擇の標準が、近來頗信頼すべからざる物になつて來た氣がする。どうもいつも、背負ひ投げを喰はせられた樣な氣分に殘されることが多いのは事實である。編輯者が迷うてゐるから、讀者も惑はざるを得ない。とゞのつまり、まづ安心して讀めるといふ豫期から、里見さんの「大地」見たいな物を讀んで行くことにしてゐる。でも、此講釋師典山の讀み口を思はせる樣な名人作家が、新時代の小説の代表者だといふ事の出來ないのは勿論である。
又佐藤春夫さんなどの散文詩がゝつた物を讀む。詩の世界に這入つた事のないものは、いつでも其から、芳烈な他界の花の香を※[#「嗅」の「口」に代えて「鼻」、第4水準2−94−73]ぐ。ところが不幸な事には、私どもは詩に對しても忠實な讀者であり、同時に多くの詩人を、友に持つてゐる。其爲か、あゝ言つた作風をよいとは感じる中にも、割り引きをせずには享け入れられない處がある。さうした人々の散文詩を襲いだと見るべき、新感覺派が出て以後の變化は、まづ明治の言文一致の運動以後、大して現れなかつた發想法上での事件であつた。唯其が少し、鴎外系統の論理的均整を保たうとし
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