おれは、忘れてしまっているのだ。
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両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐって居る。そうしてまるで、生き物のするような、深い溜《た》め息《いき》が洩《も》れて出た。
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大変だ。おれの著物は、もうすっかり朽《くさ》って居る。おれの褌《はかま》は、ほこりになって飛んで行った。どうしろ、と言うのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
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筋ばしるように、彼《か》の人のからだに、血の馳《か》け廻るに似たものが、過ぎた。肱《ひじ》を支えて、上半身が闇の中に起き上った。
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おお寒い。おれを、どうしろと仰《おっしゃ》るのだ。尊いおっかさま。おれが悪かったと言うのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまいます。
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彼の人には、声であった。だが、声でないものとして、消えてしまった。声でない語《ことば》が、何時までも続いている。
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くれろ。おっかさま。著物がなくなった。すっぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。
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