うまでには、行って居なかった。
官庁や、大寺が、にょっきりにょっきり、立っている外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとって、その相間相間に、板屋や瓦屋《かわらや》が、交りまじりに続いている。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地《こうぶち》の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群《いわむら》が、ちらばって見えるだけであった。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路《しゅじゃくおおじ》の植え木の梢を、夜になると、※[#「鼠+吾」、第4水準2−94−68]鼠《むささび》が飛び歩くと言うので、一騒ぎした位である。
横佩家の郎女が、称讃浄土仏摂受経《しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう》を写しはじめたのも、其頃からであった。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒《にぎ》やかにしたのは、此新訳の阿弥陀経《あみだきょう》一巻《いちかん》であった。
国の版図の上では、東に偏り過ぎた山国の首都よりも、太宰府は、遥かに開けていた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠《とお》の宮廷領《みかど》を通過するのであった。唐から渡った書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来な
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