、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言い、又御自身の御発起からだとも言うが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍《だいがらん》を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽《ぐさ》りになって居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝え言うのであった。そう言えば、山田寺は、役君小角《えのきみおづぬ》が、山林仏教を創《はじ》める最初の足代《あししろ》になった処だと言う伝えが、吉野や、葛城の山伏行人《やまぶしぎょうにん》の間に行われていた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となって居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残って居たと言うのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激《たぎ》ちの音が、段々高まって来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かった。炉を焚《た》くことの少い此辺では、地下《じげ》百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐ったりしているのだ。でもここには、本尊が祀《まつ》ってあった。夜を守って、仏の前で起き明す為には、御灯《みあかし》を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに
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