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こんな※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]《ささや》きは、何時までも続きそうに、時と共に倦《う》まずに語られた。
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前少弐殿でなくて、弓削新発意《ゆげしんぼち》の方であってくれれば、いっそ安心だがなあ。あれなら、事を起しそうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないじゃまで――。
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言いたい傍題《ほうだい》な事を言って居る人々も、たった此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師|恵美朝臣《えみのあそん》の姪の横佩家《よこはきけ》の郎女《いらつめ》が、神隠しに遭《お》うたと言う、人の口の端に、旋風《つじかぜ》を起すような事件が、湧き上ったのである。
九
兵部大輔《ひょうぶたいふ》大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちょうど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやって居た。二人ばかりの資人《とねり》が徒歩《かち》で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享《う》け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなった癖である。こうして、何処まで行くのだろう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほほけて、霞のように飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎《かげろ》うばかりである。資人の一人が、とっと[#「とっと」に傍点]と追いついて来たと思うと、主人の鞍《くら》に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすごうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
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それで、何か――。娘御の行くえは知れた、と言うのか。
はい……。いいえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間抜け。話はもっと上手に聴くものだ。
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柔らかく叱った。そこへ今《も》一人の伴《とも》が、追いついて来た。息をきらしている。
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ふん。汝《わけ》は聞き出したね。南家《なんけ》の嬢子《おとめ》は、どうなった――。
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出端《でばな》に油かけられた資人は、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄《はな》し方で、まともに鼻を蠢《うごめか》して語った。
当麻《たぎま》の邑《むら》まで、おととい夜《よ》の中に行って居たこと、寺からは、昨日午後横佩|墻内《かきつ》へ知
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