―。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤《もっとも》であった。志斐老女が、藤氏《とうし》の語部の一人であるように、此も亦、この当麻《たぎま》の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。
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藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠《たいしょくかん》さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐《わか》れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂※[#「竹かんむり/録」、第3水準1−89−79]《くげしょうろく》の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。差別差別《けじめけじめ》明らかに、御代御代《みよみよ》の宮守《みやまも》り。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖《おや》、中臣の氏の神、天押雲根《あめのおしくもね》と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中《くになか》に、宮|遷《うつ》し、宮|奠《さだ》め遊した代々《よよ》の日のみ子さま。長く久しい御代御代に仕えた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命《おしくもね》。遠い昔の日のみ子さまのお喰《め》しの、飯《いい》と、み酒《き》を作る御料の水を、大和国中残る隈《くま》なく捜し覓《もと》めました。
その頃、国原の水は、水渋《そぶ》臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料《しろ》に叶いません。天の神|高天《たかま》の大御祖《おおみおや》教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々もまんだ[#「まんだ」に傍点]天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通い路と、昇り立って祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八《や》ところまで見とどけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。
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当麻真人の、氏の物語りである。そうして其が、中臣の神わざと繋《つなが》りのある点を、座談のよう
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