だがやっぱり、おとといの道の続きを辿《たど》って居るらしい気がする。
水の面からさし入る月の光り、そう思うた時は、ずんずん海面に浮き出て来た。そうして悉《ことごと》く、跡形もない夢だった。唯、姫の仰ぎ寝る頂板《つしいた》に、ああ、水にさし入った月。そこに以前のままに、幾つも暈《かさ》の畳まった月輪の形が、揺めいて居る。
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のうのう 阿弥陀《あみだ》ほとけ……。
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再、口に出た。光りの暈は、今は愈々《いよいよ》明りを増して、輪と輪との境の隈々《くまぐま》しい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はっきりと形を現《げん》じた。白々と袒《ぬ》いだ美しい肌。浄《きよ》く伏せたまみ[#「まみ」に傍点]が、郎女《いらつめ》の寝姿を見おろして居る。かの日の夕《ゆうべ》、山の端に見た俤《おもかげ》びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指《および》、白玉の指。姫は、起き直った。天井の光りの輪が、元のままに、ただ仄《ほの》かに、事もなく揺れて居た。

   十四

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貴人《うまびと》はうま人どち、やっこは奴隷《やっこ》どち、と言うからの――。
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何時見ても、大師は、微塵《みじん》曇りのない、円《まど》かな相好《そうごう》である。其に、ふるまいのおおどかなこと。若くから氏上《うじのかみ》で、数十|家《け》の一族や、日本国中数万の氏人から立てられて来た家持も、じっと対《むこ》うていると、その静かな威に、圧せられるような気がして来る。
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言わしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其|為事《しごと》よ。此身とお身とは、おなじ貴人じゃ。おのずから、話も合おうと言うもの。此身が、段々なり上《のぼ》ると、うま人までがおのずとやっこ[#「やっこ」に傍点]心になり居って、いや嫉《ねた》むの、そねむの。
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家持は、此が多聞天か、と心に問いかけて居た。だがどうも、そうは思われぬ。同じ、かたどって作るなら、とつい[#「つい」に傍点]聯想《れんそう》が逸《そ》れて行く。八年前、越中国から帰った当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思い出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行われたのであった。
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