父贈太政大臣七年の忌みに當る日に志を發《オコ》して、書き綴つた「佛本傳來記」を、其後二年立つて、元興寺《グワンコウジ》へ納めた。飛鳥以來、藤原氏とも關係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一卷が、どう言ふ訣《ワケ》か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて來たのである。
郎女の手に、此卷が渡つた時、姫は端近く膝行《ヰザ》り出て、元興寺の方を禮拜した。其後で、
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難波とやらは、どちらに當るかえ。
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と尋ねて、示す方角へ、活き/\した顏を向けた。其目からは、珠數の珠の水精《スヰシヤウ》のやうな涙が、こぼれ出てゐた。
其からと言ふものは、來る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手寫した。内典・外典其上に又、大日本《オホヤマト》びとなる父の書いた文《モン》。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁み/″\と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覺えたのである。
大日本日高見《オホヤマトヒタカミ》の國。國々に傳はるありとある歌諺《ウタコトワザ》、又|其舊辭《ソノモトツゴト》。第一には、中臣の氏
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