襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路《コシヂ》の泥のかたが、まだ行縢《ムカバキ》から落ちきらぬ内に、もう復《マタ》、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔《ヒヤウブセフ》から、大輔《タイフ》に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼《カイゲン》が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。本朝《ホンテウ》出來の像としてはまづ、此程物凄い天部《テンブ》の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒《アラ》神たちも、こんな形相《ギヤウサウ》でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
まだ公《オホヤケ》の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、廣目天との顏つきに、思ひ當るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に廣まつて、家
前へ 次へ
全157ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング