−12−11]すものが、又ぼつ/″\出て來た。さうして、そのはやり風俗が、見る/\うちに、また氏々の族長の家圍ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣《アメマムネトヨオホヂノミコトサマ》がおかくれになり、御母《ミオヤ》 日本根子天津御代豐國成姫《ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ》の大尊樣《オホミコトサマ》がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家竝みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空《ソラ》の有《モノ》となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符《ダイジヤウグワンプ》に、更に嚴《キビ》しい添書《コトワキ》がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した轉變《テンペン》に、目を瞠るばかりであつたので、久しい石城《シキ》の問題も、其で、解決がついて行つた。
古い氏種姓《ウヂスジヤウ》を言ひ立てゝ、神代以來の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて來てゐる事に、氣がついて居なかつた。
最早くそこ
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