きした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の樣にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。
早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一續きに見えて、夕燒け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。
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これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
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かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、爲來りになつて居た。
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蓮《ハチス》の花に似てゐながら、もつと細《コマ》やかな、――繪にある佛の花を見るやうな――。
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ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、廣い萼《ウテナ》の上に乘つた佛の前の大きな花になつて來る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。
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夕風が冷《ヒヤ》ついて參ります。
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