、まつくらな空《クウ》をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩|牀《ドコ》の上を掻き搜つて居る。
[#ここから2字下げ]
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上《フタカミ》山を愛兄弟《イロセ》と思はむ
[#ここから1字下げ]
誄歌《ナキウタ》が聞えて來たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後《アト》見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫《ツマ》なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
[#ここで字下げ終わり]
兩の臂は、頸の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。
[#ここから1字下げ]
大變だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌《ハカマ》は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寢て居るのだ。
[#ここで字下げ終わり]
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が、闇の中に起き上つた。
[#ここから1字下げ]
をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが惡かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
[#ここで字下げ終わり]
彼の人には、聲であつた。だが、聲でないものとして、消えてしまつた。聲でない語《コトバ》が、何時までも續いてゐる。
[#ここから1字下げ]
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て來た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寢床の上を這
前へ 次へ
全80ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング