《ヒツギ》にかけるひしきもの[#「ひしきもの」に傍点]―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」
二十
もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、信《シン》をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ/\と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。當麻語部《タギマノカタリベ》の嫗なども、都の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ジヤウラウ》の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退《ノ》けられたのであつた。
さう言ふ聽きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又|廬堂《イホリダウ》に近い木立ちの陰でも、或は其處を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは續けられて居た。
今年八月、當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再|己《オノ》が世が來た、とほくそ笑み[#「ほくそ笑み」に傍点]をした――が、氏の神祭りにも、語部《カタリベ》を請《シヤウ》じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の參向の節にも、呼び出されて、當麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た豫期《アラマシ》も、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖《オヤ》たちが、長く覺え傳へ、語りついで來た間、かうした事に行き逢はうとは考へもつかなかつた時代《トキヨ》が來たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放《ヤラ》はれてゐる氣がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた語部《カタリベ》の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飮んでも、口をついて、獨り語りが囈語《ウハゴト》のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて來た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い處を、ところ[#「ところ」に傍点]をと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。
郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色《ヱノグ》の數々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて
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