でも/\野の限り、山も越え、海の渚まで日を送つて行つた女すら、段々あつた。さうして夜はくた/\になつて家路を戻る。此為来りを何時となく女たちの咄すのを聞いて、姫が女の行《ぎやう》として、此の野遊びをする気になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ考へに落ちつくと、皆の心が一時ほうと軽くなつた。
ところが、其日も昼さがりになり、段々夕かげが催して来る時刻が来た。昨日は駄目になつた日の入りの景色が、今日は其にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて来た。


       三

万蔵法院の北の山陰に、昔から小さな庵室があつた。昔からと言ふのは、貴人がすべて、さう信じて居たのである。荒廃すれば繕ひ/\して、人は住まぬ宿に、孔雀明王像が据ゑてあつた。当麻《たぎま》の村人の中には、稀に此が山田寺であると言ふものもあつた。さう言ふ人の伝へでは、万蔵法院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の発起からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でになつて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の旧蹟を残す為に寺の四至の中の北の隅に、当時立ち朽りになつて居た庵室に手入れをして移されたのだと言ふのである。さう言へば、山田寺は、役《え》ノ君《きみ》「小角《をづぬ》」が山林仏教を創める最初の足代《あししろ》になつた処だと言ふ伝へが、吉野や、葛城の修験《しゆげん》の間にも言はれてゐた。何しろさうした大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となつて居た目と鼻との間に、之な古い建て物が残つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜はもう更けて居た。谷川の激《たぎ》ちの音が、段々高まつて来る。二上山の二つの峰の間から流れ取る水なのだ。
廬の中は、暗かつた。炉を焚くことの少い此地方では、地下《ぢげ》の百姓は夜は真暗な中で、寝たり坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、仏の前で起き明す為には、御燈《みあかし》を照した。
孔雀明王の姿が、あるか無いかの程に、ちろめく光りである。
姫は寝ることを忘れたやうに坐つて居た。万蔵法院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならない。横佩家の人々の心を思うたのである。次には、女人結界を犯して門堂塔深く這入つた処は、姫自身に贖《あがな》はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの
前へ 次へ
全74ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング