、お身は諾《うべな》ふかね。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は読んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へも、身は持つことになつた――そんな空恐しい気さへすることがあります。お身さまにも、そんな経験《おぼえ》が、おありでせう。
大ありおほ有り、毎日々々、其ぢや。しまひにどうなるのぢや。こんなに智慧づいてはと思はれてならぬことが――ぢやが、女子《をみなご》だけにはまづ当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬのどかな心で居さしたいものぢや。第一其が、男の為ぢや。
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家持は、此了解に富んだ貴人の語に、何でも言つてよい、青年のやうな気が湧いて来た。
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さやう/\。智慧を持ち初めては女部屋には、ぢつとして居ませぬな。第一|横佩墻内《よこはきかきつ》の――
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いけないことを言つたと思つた。同時に此|臆《おく》れた気の出るのが、自分を卑《ひく》くし、大伴氏を昔の位置から自ら蹶落す心なのだと感じた。
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好《えゝ》、好《えゝ》。遠慮はやめやめ。氏の上《かみ》づきあひぢやもん。ほい又出た。おれはまだ藤氏の氏上に任ぜられた訣ぢやなかつたつけな。
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瞬間暗い顔をしたが、直にさつと眉の間から輝きが出た。
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身の女姪《めひ》の姫が神隠しにあうた話か。お身は、あの謎見たいないきさつを、さう解《と》るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も定めて喜ぶぢやらう。実は、これまで内々小あたりにあたつて見たと言ふ口かね、お身も。
大きに。
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今度は軽い心持ちが、大胆に仲麻呂の話を受けとめた。
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お身さまが経験《ためし》ずみぢやで、其で郎女の才高《さえだか》さと、男|択《えら》びすることが訣りますな――。
此は、額《ひたひ》ざまに切りつけられた――。免せ/\と言ふところぢやが――、あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡《ひらをか》の斎《いつ》き姫にあがる宿世《すくせ》を持つて生まれた者ゆゑ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ、はゝはゝゝ。
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内相は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になつた。
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