る。
神武天皇の大和の宇陀を伐たれた際には、敵の兄磯城《エシキ》・弟磯城《オトシキ》の側にも、天皇の方にも、男軍《ヲイクサ》・女軍《メイクサ》が編成せられて居た。「いくさ」と言ふ語の古い用語例は軍人・軍隊と言ふ意である。軍勢に硬軟の区別を立てゝ、軍備へをする訣もないから、優形《やさがた》の軍隊と言つた風の譬喩表現と見る説はわるい。やはり素朴に、女軍人の部隊と説く考へが、ほんとうである。巫女の従軍した事実は際限なくある事で、皆戦場に於て、神の意思を問ふ為である。其と共に、女軍を指揮するのだから、真の戦闘力よりも、信仰の上から薄気味のわるい感じを持つて居たのであらう。一方からは、他の種族の祀る異教神の呪力を、物ともせない勇者にとつては、極めて脆い相手であつたのである。神武天皇なども、女軍を破つて、敵を窮地に陥れて居られる。
黄泉醜女《ヨモツシコメ》の黄泉|軍衆《イクサ》と言ふのも、死の国の獰猛な女の編成した、死の国の軍隊と言ふ事である。いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]が、あれ程に困らされた伝へのあるのも、祖先の久しい戦争生活から来た印象である。
沖縄の記録を見ると、三百年前までは、
前へ 次へ
全21ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング