判然せない点がある。そういうところは、すべて男性と考えやすいのであるが、中天皇の原形なる女帝がなお多くあらせられたのではあるまいか。
沖縄では、明治の前までは国王の下に、王族の女子あるいは寡婦が斎女王同様の為事をして、聞得大君《キコエウフキミ》(ちふいぢん)と言うた。尚《しょう》家の中途で、皇后の下に位どられることになったが、以前は沖縄最高の女性であった。その下に三十三君というて、神事関係の女性がある。それは地方地方の神職の元締めのような位置にいる者であった。その下に当るのろ[#「のろ」に傍線](祝女)という、地方の神事官吏なる女性は今もいる。そのまた下にその地方の家々の神に事《つか》える女の神人がいる。この様子は、内地の昔を髣髴《ほうふつ》させるではないか。沖縄本島では聞得大君を君主と同格に見た史実がない。が、島々の旧記にはその痕跡が残っている。
三 女軍
万葉および万葉以前の女性とさえ言えば、すぐれて早く恋を知り、口迅《くちど》に秀歌を詠んだもののように考えられてきている。しかしこれとてもやはり、伝説化せられたものに過ぎなかったのである。佳人才女の事蹟を伝えたのは
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