にある語は「よばふ」である。竹取物語の時代になると、すでに後世風な聯想のあったことが見えているが、やはり「呼ぶ」を語原としているのである。大きな声をあげて物を言うことである。つまり「なのる」というのと、同義語なのである。名誉ある敵手の出現を望む武士の、戦場で自ら氏名を宣する形式を言うことになってしもうたが、古くは、もっとなまめかしいものであった。
 人の名は秘密であった。男の名も、ずっと古くは幾通りも設けておいて、どれが本名だかわからなくしたものがあった。大汝《おおなむち》[#(ノ)]命《みこと》などの名の一部分の意義は、大名持《おおなもち》すなわち多数の名称所有者の意であって、名誉ある名「大名《オホナ》」を持つという意ではないようだ。事実いろいろの名を持った神である。名を人格の一部と見て、本名を知れば、呪咀なども自在に行うことができるものと見たところから、なるべく名を周知させぬようにしたのである。男はそれではとおらぬ時代になっても、女は世間的な生活に触れることがすくなかったため、久しく、この風は守りおおせたものである。平安朝の中末のころになっても、やはりそうであったようである。
 万
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