霊の容れ物・神体を収めた箱を持つて歩かなかつたとは考へられない。漂泊布教者が箱入りの神霊を持ち搬んだことは、屡例がある。ほかひ[#「ほかひ」に傍線]は元、実は其用途に宛てられてゐたのだが、利用の方面を拡げて来たものと言ふことが出来よう。柳田国男先生は、曾《かつ》て「うつぼと水の神」と言ふ論文(史学)を公にせられた。箱が元、単なる容れ物でなく、神霊を収めるもので、其筋を辿ると、ひさご[#「ひさご」に傍線]・うつぼ[#「うつぼ」に傍線]の信仰上の意味も知れる事をお説きになつて居る。あれを見て頂けば、私の議論はてつとり早く納得して貰へよう。
ほかひ[#「ほかひ」に傍線]と言はれる道具の元は、巡遊伶人が同時に漂泊布教者であつた事を見せて居り、長旅を続ける神事芸人の団体が、藤原の都には既に在つた事を思はせるのは、微妙な因縁と言はねばならぬ。
五 ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の淪落
乞食者詠の出来たのは、どう新しく見ても、民衆に創作意識のまだ生じて居なかつた時代である。創作詩の始めて現れたのは、人を以て代表させれば、柿本[#(ノ)]人麻呂の後半生の時代である。蟹や鹿の抒情詩らしく見え
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