の祝詞の様なものも出来た。例年の新嘗・神今食《ジンコンジキ》並びに大嘗祭には、式に先つて、忌部が、天子平常の生活に必出入せられる殿舎を廻つて、四隅にみほぎの玉[#「みほぎの玉」に傍線]を懸けて、祝詞を唱へて歩いた。みほぎ[#「みほぎ」に傍線]と言ふのは、神が表すべき運命の暗示を、予め人が用意して於て祝福するので、此場合、玉は神璽《しんじ》として用ゐたのではない。出雲国造神賀詞の「白玉の大御白髪まし、赤玉のみあからびまし、青玉のみづえの玉のゆきあひに、明《アキ》つ御神と大八島国しろしめす……」など言ふ譬喩を含んだものなのである。
四 よごと
寿詞が、完全に齢言《ヨゴト》の用語例に入つて来たのは、宮廷の行事が、機会毎に天子の寿をなす傾きを持つてゐたからであらう。民間の呪言が、悉く家長の健康・幸福を祈る事を、目的としてばかり居たとは言へない。単純に、農作・建築・労働などに効果を招来しようとする呪言が、多くあつたに違ひない。
毎年々頭、郡臣拝賀のをり、長臣が代表して寿詞《ヨゴト》を奏した例は、奈良朝迄も続いたものと見る事が出来る。文字は「賀正事」と宛てゝ居るが、やはりよごと[#「
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