人々の中に、実は巫女の生活をした女性もあつたのではなからうか。此点に就ての、詳論は憚りが多い。神功皇后と一つに考へられ易い魏書の卑弥呼《ヒミコ》の如きも、其巫女としての呪術能力が此女性を北九州の一国主としての位置を保たして居たのであつた。
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村々の高級巫女たちは、独身を原則とした。其は神の嫁として、進められたものであつたからだ。神祭りの際、群衆の男女が、恍惚の状態になつて、雑婚に陥る根本の考へは、一人々々の男を通じて、神が出現してゐるのである。
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奈良朝の都人の間に、踏歌化して行はれた歌垣は、実は別物であるが、其遺風の後世まで伝つたと見える歌垣・※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1−15−93]歌会《カヾヒ》(東国)の外に、住吉《スミノエ》の「小集会《ヲヅメ》」と言うたのも此だとするのが定論である。
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だから、現神《アキツカミ》なる神主が、神の嫁なる下級の巫女を率寝《ヰヌ》る事が普通にあつたらしい。平安朝に入つても、地方の旧い社には、其風があつた。
出雲・宗像の国造――古く禁ぜられた国造の名を、尚《なほ》称しては居た
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