》は年に稀なるが故に、まれびと[#「まれびと」に傍線]と称へて、饗応《アルジ》を尽して、快く海のあなたへ還らせようとする。邑落生活の為に土地や生産、建て物や家長の生命を、祝福する詞を陳べるのが、常例であつた。
尤、此は邑落の神人の仮装して出て来る初春の神事である。常世のまれびと[#「まれびと」に傍線]たちの威力が、土地・庶物の精霊を圧服した次第を語る、其|昔《カミ》の神授の儘と信じられてゐる詞章を唱へ、精霊の記憶を喚び起す為に、常世神と其に対抗する精霊とに扮した神人が出て、呪言の通りを副演する。結局精霊は屈従して、邑落生活を脅かさない事を誓ふ。
呪言と劇的舞踊は段々発達して行つた。常世の神の呪言に対して、精霊が返奏《カヘリマヲ》しの誓詞を述べる様な整うた姿になつて来る。精霊は自身の生命の根源なる土地・山川の威霊を献じて、叛かぬことを誓約《ウケヒ》する。精霊の内の守護霊を常世神の形で受けとつた邑落或は其主長は、精霊の服従と同時に其持つ限りの力と寿と富とを、享ける事になるのである。かうした常世のまれびと[#「まれびと」に傍線]と精霊(代表者として多くは山の神[#「山の神」に傍線])との主従関係の本縁を説くのが古い呪言である。
呪言系統の詞章の宮廷に行はれたものが一転化して、詔旨(宣命《センミヤウ》)を発達させた。庶物の精霊だけでなく、身中に内在する霊魂にまでも、威力は及すものと信ぜられて居た。年頭の朝賀の式は、段々、氏々の代表者の賀正事《ヨゴト》(天子の寿を賀する詞)奏上を重く見る様になつたが、恒例の大事の詔旨は、此受朝の際に行はれた。賀正事《ヨゴト》は、詔旨に対する覆奏《カヘリマヲシ》なのであつた。此詔旨が段々臨時の用を多く生じて宣命が独立する様になつたのだ。延喜式祝詞の多くが、宮廷の人々及び公民を呼びかけて聴かせる形になつてゐるのは、此風から出て、更に他の方便をも含んで来たのである。宮廷の尊崇する神を信じさせ、又呪言の効果に与らせようとする様になつたのだ。だから延喜式祝詞は、大部分宣命だと言うてもよい様な姿を備へてゐる。宣命に属する部分が、旧来の呪言を包みこんで、其境界のはつきりせぬ様になつたものが多いのである。
詔旨は、人を対象とした一つの祝詞であり、やがて祝詞に転化する途中にあるものである上に、神授の呪言を宣り降す形式を保存して居たものである。法令《ノリ》の古い形は、かうした方法で宣《ノ》り施された物なることが知れる。
呪言は一度あつて過ぎたる歴史ではなく、常に現実感を起し易い形を採つて見たので、まれびと神[#「まれびと神」に傍線]の一人称――三人称風の見方だが、形式だけは神の自叙伝体――現在時法(寧、無時法)の詞章であつたものと思はれる。完了や過去の形は、接続辞や、休息辞の慣用から来る語感の強弱が規定したものらしい。神亀元年二月四日(聖武即位の日)の詔を例に見て頂きたい。父帝なる文武天皇は曾祖父、元明帝は祖母、元正帝は母と言ふ形に表され、而も皆一つの天皇《スメラミコト》であつて、天神の顕界《ウツシヨ》に於ける応身《オホミマ》(御憑身)であり、当時の理会では、御孫《ミマ》であつた。日のみ子[#「日のみ子」に傍線]であると共に、みまの命[#「みまの命」に傍線]であると言ふのは、子孫の意ではなく、にゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同体に考へたのだ。おしほみゝの命[#「おしほみゝの命」に傍線]が、大神と皇孫との間に介在せられるのは、みま[#「みま」に傍線]を御孫と感じた時代からの事であらう。聖武帝の御心も、元正帝の御心も、同一人の様な感情や待遇で示されてゐる。長い時間の推移も、助動詞助辞の表しきつて居ない処がある。
さうした呪言の文体が、三人称風になり、時法を表す様になつて来たのは――(宣命の様に固定した方面もあつたが)――可なり古代からの事であつたらしい。此が呪言の叙事詩化し、物語を分化する第一歩であつた。
わたつみの国[#「わたつみの国」に傍線]も常世の国[#「常世の国」に傍線]と考へられて行つた。わたつみの神[#「わたつみの神」に傍線]は富みの神であり、歓楽の主であり、又ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]に、其兄を征服する様々の呪言と呪術とを授けた様に、呪言の神でもあつた。又一方よみの国[#「よみの国」に傍線]は、呪言と其に附随してゐる占ひ[#「占ひ」に傍線]との本貫の様な姿になつて居た。
すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]は、興言《コトアゲ》の神であり、誓約《ウケヒ》の神である。祓除・鎮魂の起原も、此神に絡んでゐるのは、理由がある。鎮火祭の祝詞は、よみの国[#「よみの国」に傍線]のいざなみの命[#「いざなみの命」に傍線]の伝授であつたらしく、いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]の檍原《アハギハラ》の禊ぎも
前へ 次へ
全35ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング