祖か、又は正しく仏教に属すべきものか、其さへ知れないのである。役[#(ノ)]行者の修行は或は、其頃流行の道教の仙術であつたのかも知れない。当時には大伴仙・安曇仙・久米仙などの名が伝へられて居り、天平には禁令が出て、出家して山林に亡命することを止めたのである。其文言を見ると、仏教・道教に厳重な区劃は考へてゐなかつた様であるが、万葉巻五の憶良の「令反惑情歌」は、其禁令の直訳なのに拘らず、道教側の弊ばかり述べてゐる。
其よりも半世紀も前の事である。山林に瞑想して、自覚を発した徒の信仰が、果して仏家の者やら、道教の分派やら、判断出来なかつたに違ひない。続日本紀を見ても、平安朝の理会を以て、多少の記録に対した処で、もう伝来の説を信じるより外はなくなつて居たらう事が察せられる。修験道の行儀・教義は、ある点まで、新しい仏教――天台・真言――の修法を主とする験方の法師等の影響を受けて居さうである。だから、奈良以前の修験道を考へる事は、平安時代附加の部分のとり除かれない間はおぼつかない。
山の神人即、山人の信仰が、かうした一道を開く根になつたのである。其懺悔の式も亦、懺法などの影響以前からある。山の神は人の秘密を聴きたがるとの信仰と、若者の享ける成年戒の山ごもりの苦行精神とが合体してゐるのである。
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足柄の御坂《ミサカ》畏《カシコ》み、くもりゆの我《ア》が底延《シタバ》へを、言出《コチデ》つるかも(万葉巻十四)
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畏《カシコ》みと 告《ノ》らずありしを。み越路《コシヂ》の たむけに立ちて、妹が名|告《ノ》りつ(万葉巻十五)
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恋しさに名を呼んだのではなく、「今までは、身分違ひで、名をさへ呼ばずに居た。其に、越路へ越ゆる愛発《アラチ》山の峠の神の為に、たむけ[#「たむけ」に傍線]の場所で、妹が名を告白した」と言ふのである。
修験道の懺悔は、此意義から出て、仏家の名目と形式の一部を採つたのである。又、御嶽精進《ミタケサウジ》も、物忌みの禁欲生活で、若い人々の山籠りをして神人の資格を得る、山人信仰の形式から出たものと見る方が正しいのである。唯、女の登山を極端に忌んだのは、山の巫女(山姥)さへ択び奨めた古代の信仰とは違ふ様だが、成年戒を享ける期間に、女に近づけぬ形の変化なのだ。
山人の後身なる修
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