#「のりと」に傍線]とも称したのが、平安朝の用語例である。斎部祝詞は多く其だ。此三種類の詞章の所属を弁別するには、大体、其慣用動詞をめど[#「めど」に傍線]にして見るとよい。のりと[#「のりと」に傍線]はのる[#「のる」に傍線]、よごと[#「よごと」に傍線]にはたゝふ[#「たゝふ」に傍線]、氏々の寿詞ではまをす[#「まをす」に傍線]、ことほぎのよごと[#「ことほぎのよごと」に傍線]にはほく[#「ほく」に傍線]・ほむ[#「ほむ」に傍線]、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]にはいはふ[#「いはふ」に傍線]・しづむ[#「しづむ」に傍線]・さだむ[#「さだむ」に傍線]・ことほぐ[#「ことほぐ」に傍線]など、用語例が定まつて居たことは察せられる。其正しい使用と、実感とが失はれた時代の、合理観から来る混乱が、全体の上に改造の力を振うた後の整頓した形が、平安初期以後の祝詞の詞章である。
かうした事実の根柢には、古代信仰の推移して来た種々相が横たはつて居る。代宣者の感情や、呪言伝承・製作者らの理会や、向上しまた沈淪した神々に対する社会的見解――呪言神の零落・国社神の昇格から来る――や、天子現神思想の退転に伴ふ諸神礼遇の加重などが、其である。延喜式祝詞は、さうした紛糾から解いてかゝらねば、実は隈ない理会は出来ないのである。
と[#「と」に傍線]と言ふ語《ことば》が、神事の座或は、神事執行の中心様式を示すものであつたらうと言ふことは、既に述べた。恐らくは神座・机・発言者などの位置のとり方について言ふものらしいのである。ことゞ[#「ことゞ」に傍線]・とこひど[#「とこひど」に傍線](咀戸)・千座置戸《チクラオキド》(くら[#「くら」に傍線]とと[#「と」に傍線]とは同義語)・祓戸《ハラヘド》・くみど[#「くみど」に傍線]などのと[#「と」に傍線]は、同時に亦のりと[#「のりと」に傍線]のと[#「と」に傍線]でもあつた。宣る時の神事様式を示す語で、詔旨を宣べる人の座を斥《サ》して言つたものらしい。即、平安朝以後|始中終《しよつちゆう》見えた祝詞座・祝詞屋の原始的なものであらう。其のりと[#「のりと」に傍線]に於て発する詞章である処からのりと[#「のりと」に傍線]詞《ゴト》なのであつた。天《アマ》つのりと[#「つのりと」に傍線]とは天上の――或は其式を伝へた神秘の――祝詞座即、高御座《タカミク
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