呪言から出た行事に相違ないが、此もよみの国[#「よみの国」に傍線]を背景にしてゐる。
ことゞ[#「ことゞ」に傍線]と言ふ語は、よもつひら阪[#「よもつひら阪」に傍線]の条では、絶縁の誓約の様に説かれてゐるが、用例が一つしか残つて居ない為の誤解であらう。興台産霊《コトヾムスビ》の字面がよくことゞ[#「ことゞ」に傍線]の義を示してゐる。ことゞふ[#「ことゞふ」に傍線]は、かけあひ[#「かけあひ」に傍線]の詞を挑みかける義で、※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1−15−93]歌会《カヾヒ》の場《ニハ》などに言ふのは、覆奏を促す呪言の形式を見せて居る。ことあげ[#「ことあげ」に傍線]はことゞあげ[#「ことゞあげ」に傍線]の音脱らしく、対抗者の種姓を暴露して、屈服させる呪言の発言法であつた。紀に泉津守道《ヨモツチモリ》・菊理《クヽリ》媛など言ふよみ[#「よみ」に傍線]の精霊が現れる処に「言ふことあり」「白す言あり」など書いたのは、呪言となつた詞章のあつた事を示してゐるのであらう。又唾を吐いた時に化成した泉津事解之男《ヨモツコトサカノヲ》は、呪言に関係した運命定めの神である。呪咀をとこふ[#「とこふ」に傍線]と言うた事も、とこよ[#「とこよ」に傍線]と聯想があつたのではないかと思はれる。
年の替り目に来た常世神も、邑落生活上の必要から、望まれる時には来る様になつた。家の新築や、田植ゑ、酒占や、醸酒《サカガミ》、刈り上げの新嘗《ニヒナメ》などの場合である。
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くしの神 常世にいます いはたゝす 少御神《スクナミカミ》の 神ほぎ 祝ぎ狃《クル》ほし、豊ほぎ、ほぎ廻《モトホ》しまつり来しみ酒《キ》ぞ……(仲哀記)
掌《タナソコ》やらゝに、拍ち上げ給はね。わがとこよ[#「とこよ」に傍線]たち(顕宗紀、室寿詞の末)
妙呪者《クスリシ》は、常のもあれど、まらひと[#「まらひと」に傍線]の新《イマ》のくすりし……(仏足石の歌)
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など歌はれた常世神も、全然純化した神とならぬ中に、性格が分化して来た。其善い尊い部分が、高天原の神となり、怖しく醜い方面が、週期的に村を言ほぎ[#「言ほぎ」に傍線]に来る鬼となつた。だから常世《トコヨ》[#(ノ)]思金《オモヒカネ》[#(ノ)]神《カミ》といふ名も、呪言の神が常世から来るとした信仰の痕跡だと言へよう。田植
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