形は、かうした方法で宣《ノ》り施された物なることが知れる。
呪言は一度あつて過ぎたる歴史ではなく、常に現実感を起し易い形を採つて見たので、まれびと神[#「まれびと神」に傍線]の一人称――三人称風の見方だが、形式だけは神の自叙伝体――現在時法(寧、無時法)の詞章であつたものと思はれる。完了や過去の形は、接続辞や、休息辞の慣用から来る語感の強弱が規定したものらしい。神亀元年二月四日(聖武即位の日)の詔を例に見て頂きたい。父帝なる文武天皇は曾祖父、元明帝は祖母、元正帝は母と言ふ形に表され、而も皆一つの天皇《スメラミコト》であつて、天神の顕界《ウツシヨ》に於ける応身《オホミマ》(御憑身)であり、当時の理会では、御孫《ミマ》であつた。日のみ子[#「日のみ子」に傍線]であると共に、みまの命[#「みまの命」に傍線]であると言ふのは、子孫の意ではなく、にゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同体に考へたのだ。おしほみゝの命[#「おしほみゝの命」に傍線]が、大神と皇孫との間に介在せられるのは、みま[#「みま」に傍線]を御孫と感じた時代からの事であらう。聖武帝の御心も、元正帝の御心も、同一人の様な感情や待遇で示されてゐる。長い時間の推移も、助動詞助辞の表しきつて居ない処がある。
さうした呪言の文体が、三人称風になり、時法を表す様になつて来たのは――(宣命の様に固定した方面もあつたが)――可なり古代からの事であつたらしい。此が呪言の叙事詩化し、物語を分化する第一歩であつた。
わたつみの国[#「わたつみの国」に傍線]も常世の国[#「常世の国」に傍線]と考へられて行つた。わたつみの神[#「わたつみの神」に傍線]は富みの神であり、歓楽の主であり、又ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]に、其兄を征服する様々の呪言と呪術とを授けた様に、呪言の神でもあつた。又一方よみの国[#「よみの国」に傍線]は、呪言と其に附随してゐる占ひ[#「占ひ」に傍線]との本貫の様な姿になつて居た。
すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]は、興言《コトアゲ》の神であり、誓約《ウケヒ》の神である。祓除・鎮魂の起原も、此神に絡んでゐるのは、理由がある。鎮火祭の祝詞は、よみの国[#「よみの国」に傍線]のいざなみの命[#「いざなみの命」に傍線]の伝授であつたらしく、いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]の檍原《アハギハラ》の禊ぎも
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