行きぶり」に傍線]を加へて来たのである。
歌舞妓の木戸に、後々まで狂言づくし[#「狂言づくし」に傍線]と書き出したのは、能狂言に模したものを幾つも行ふ意ではなかつた。日本の古い演劇が、舞踊・演劇・奇術・歌謡、さうした色々の物を含んでゐた習慣から出た名で、歌舞妓踊りも、狂言も、小唄・やつし唄も、ありだけ見せると言ふ積りであつた。猿楽・舞尽しと言へなかつた為、同じ様に古くからある狂言と言ふ語《ことば》を用ゐたのである。名は能狂言で、其固定した内容を利用したかも知れぬが、能狂言から思ひついたとは言へないのである。農村に発達した、村々特有の筋と演出とを持つた古例の出し物があつたのだ。どこの村・どこの社寺の、どの座ではどれと言ふ風に、二立て目に出す狂言は極《きま》つて居て、狂言も其一種であつたのが、無数に殖えたのである。江戸の猿若で言へば、猿若狂言と定式狂言とが其なのである。後の物は総称して狂言と言ふが、内容は種々になる訣である。
其一つの能狂言が、対話を主として栄えたことを手本にして、改良せられて行つた。此は、能や舞に対しては踊りである。狂言の平民態度に立つてゐるのから見れば、此は武家情趣を持つて居る。但、役者自身歌舞妓者が多かつた為、舞台上の刃傷《にんじやう》や、見物との喧嘩などが多かつた。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
江戸の荒事は、金平《キンピラ》浄瑠璃と同じ原因から出たらうが、お互に模倣したものとは言へない。団十郎の初代は、唐犬権兵衛の家にゐたと言ふから、やはり町奴の一人となる資格のあつたかぶき者[#「かぶき者」に傍線]だつたのである。
かぶき[#「かぶき」に傍線]と言ふ語は、又段々、やつこ[#「やつこ」に傍線]と言ふ語に勢力を譲るやうになつた。旗本奴にも、歌舞妓衆と言はれる徒党があつて、六方に当る丹前は、此等の奴ぶり[#「奴ぶり」に傍線]から出た。その、寛濶・だて[#「だて」に傍線]などゝ流行語を易《か》へるに従うて、概念も移つて行つて、遂に「通」と言ふ「色好みの通り者」と言ふ処におちついた。
かぶき者[#「かぶき者」に傍線]は半従半放の主従関係だつたので、世が静まつても、さうした自由を欲する心の、武士の間にあつた事が知れる。だから渡り奉公のやつこ[#「やつこ」に傍線]の生活を羨んで、旗本奴などゝ言ふ名を甘受してゐたのだ。
吉原町・新吉原町に「俄《に
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