の餘興などの起原に就ては、自ら説明する機會があるであらう。
尊者の「門入り」の今一つ古い式は、平安の宮廷に遺つて居た。大殿祭の日の明け方、神人たち群行《グンギヤウ》して延政門に訪れ、門の開かれるを待つて、宮廷の巫女なる御巫《ミカムコ》等を隨へて、主上日常起居の殿舍を祓うて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]るのであつた。此神人――中臣・齋部の官人を尊者と稱することはせなかつたけれど、祓へをすました後、事に與つた人々は、それ/″\饗應せられて別れる定めであつた。かくて貴族の家々に中門《チユウモン》の構造が必須條件となり、中門廊に宿直人《トノヰビト》を置いて、主人の居處を守ることになる。平安中期以後の家屋は皆此樣式で、極めて尊い訪客は、中門から車を牽き入れて、寢殿の階に轅を卸すことが許されて居た。武家の時代になると、中門が塀重門と名稱・構造を變へて來たが、尚、普通には、母屋の前庭に出る門を中門《チユウモン》と稱へて來た。
田樂師《デンガクシ》の演奏種目の中、古くからあつて、今に傳へて居る重要な「中門口《チユウモングチ》」と言ふのは、此「門入り」の儀の藝術化したものなのであつた。田樂法
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