であつた。
かうした變化法・吸收法を以て、外來の傳承に融合して行つたものである。だから、季節毎の畏怖を鎭魂又は祓除によつて、散却してゐた。勿論、上巳・端午には、支那本土でも、祓除の意味があつたのだが、我が國では、節分にも、七夕にも、盂蘭盆にも、八朔にも、玄猪にも、更に又、放生會にすらも、此側から出た痕跡が明らかに見えてゐる。
鎭花祭《ハナシヅメマツ》りには、多少外來種の色彩が出てゐるが、やはり魂ふり[#「魂ふり」に傍線]に努めた古風が、少分の外種を含んで出たのである。寧、歸化種の人々に及んだ影響が、あゝして現れたと見るべきであらう。二度の大祓へに伴ふ鎭魂や、上巳・端午の雛神や、盆・七夕の精靈に對してする「別れ惜しみ」の式などは、芻《スウ》靈や死靈の祭り以外に、生きみ魂[#「生きみ魂」に傍線]の鎭魂の意味が十分に殘つてゐるのである。
名は同化せられて行つて、上邊《ウハベ》は變化しながら、實は固有種と違つた意味に育たしめるのが、我が民族の外來文化に接觸の爲方であつた。だから、常識化し、傳説を紛らした道教の方式にたやすく結合して、傳承を伸して行つた。其で上元の外に、中元を考へ、季節の祓除・鎭
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