」に傍線]と言ふのは、主公の齡のめでたからむことを祝福しに行くから出た語である。いきみたま[#「いきみたま」に傍線]と稱へる訣は、主公の體内の靈を拜して、其に「めでたくあれ」と祈つて來るからである。盂蘭盆に對して、今も之を生き盆[#「生き盆」に傍線]と稱して行ふ地方もある。畢竟、元は生者死者に拘らず、此頃、靈を拜したなごりに違ひない。結局、鎭魂祭は生き御靈[#「生き御靈」に傍線]の爲に行はれたのが、漸次、意義を分化して、互に交渉のない祭日となつて了うたものであらう。だから、節供に靈祭りの要素のあることも納得出來る。季節の替り目にいきたま[#「いきたま」に傍線]の邪氣に觸れることを避けようとしたのである。
おめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]から引いて説くべきは、正月の常用語「おめでたう」は、現状の讚美ではなく、祝福すべき未然を招致しようとする壽詞であると言ふことである。生き盆のおめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]と同じ事が、宮廷で行はれてゐた。春秋の朝覲行幸が其である。天子、其父母を拜する儀であつて、上皇・皇太后が、天子の拜を受け給ふのであつた。單に其ばかりでなく、群臣の拜賀も
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