言語で、祝福しようとする形式をとつて來るのである。
近世まであり、現にありもするほかひ[#「ほかひ」に傍線]・ものよし[#「ものよし」に傍線]・萬歳などは、神降臨の思想と、人のした祝言の變形である。
萬歳の春の初めの祝言は、柱を褒め、庭を讚へ、井戸を讚美する。其讚美の語に、屋敷内の神たちをあやからせ、かまけ[#「かまけ」に傍点]させようと言ふ信仰から出てゐる。單に現状の讚美でない。ほむ[#「ほむ」に傍線]・ほぐ[#「ほぐ」に傍線]と言ふ語は豫祝する意味の語で、未來に對する賞讚である。其語にかぶれて、精靈たちがよい結果を表すものと言ふ考へに立つて居る。言語によつて、精靈を感染させようとする呪術である。其上に言語其物にも精靈の存在して居るものと信じて居た。「言靈《コトダマ》さきはふ」と言ふ語は、言語精靈が能動的に靈力を發揮することを言ふ。言語精靈は、意義どほりの結果を齎すものではあるが、他の精靈を征服するのではない。傳來正しき「神言」の威力と、其詞句の精靈の活動とに信頼すると言ふ二樣の考へが重なつて來て居る樣である。
呪言は古く、よごと[#「よごと」に傍線]と言うた。奈良朝の書物にも、吉事・吉言など書いて居るのは其本義を忘れて、縁起よい詞などゝ言ふに近い内容を持つて來たのであらう。壽詞と書いて居るのは、ほぐ[#「ほぐ」に傍線]の義から宛てたのではなく、長壽を豫祝する「齡言《ヨゴト》」の意味を見せて居るのだ。併し、それよりも更に古くは「穀言《ヨゴト》」の意に感じても居、眞の語原でもあつたらしい。世が「農作の状態」を意味することは、近世にも例がある。古くは穀物をよ[#「よ」に傍線]と言うたのである。即、農産を祝ぐ詞と言ふ考へから出たらしい。



底本:「折口信夫全集 第一卷」中央公論社
   1954(昭和29)年10月1日初版発行
   1965(昭和40)年11月20日新訂版発行
   1972(昭和47)年5月20日新訂再版発行
初出:「日光 第一卷第一號」
   1924(大正13)年4月
入力:野口英司
校正:多羅尾伴内
2005年3月17日作成
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