事をやつてゐる。英作文を作る時、又独作文を作る時に一つの形を拵へて見る。日本の文語を拵へる時のやうなそれと似た過程をば、外国語を使ふ時にも、取入れる時にもしてゐるんです。つまり、意味は訣らないけれども飜訳してゐる。近頃はやつてゐる言葉だつて、その言葉を辞書通りに或は西洋人が使つてゐる通りに使つてゐるのではない。自分の心に、飜訳した内容を持たしてその言葉を使つてゐる。だから、その我々が使つてゐる外国語と言ふものは、新しく日本語にだん/\なつてゐる。だから、外国語と言ふものに対しても、簡単にそいつはいけないと言ふ、単なる国粋的なものゝ言ひ方は出来ないですね。
ところが、この言語伝承のうちで、我々が考へなければならぬ態度が三つあります。つまり、時代的に見て行くか、地理的に見て行くかと言ふこと。まあ普通の考へは、この地理観察と時代観察です。時代観察をすると言ふ事は、言語史的、つまり、国語史的に見て行くと言ふ事です。地理観察と言へば、まあ方言風に見て行くと言ふ事になります。併し、それと同時に、階級を基礎として観て行くと言ふ見方があると存じます。
どうも私共の考へでは、尚幾度も考へ直さなければなり
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