そして次第に、四角張つた形式的な表向きなものと、無教育な者や婦女子だけが読む仮名ばかりのものと、かう地位も変つて来た。室町あたりからずつと、仮名ばつかりで書いたものは、婦女童幼の読物と言ふ風になつてしまつたのです。
ところが、擬古文と言ふものは、歴史を辿りますと、只今我々が一番古い日本の文章、散文だと言つてをります祝詞にも見られます。祝詞と言ふものは、間違ひなく奈良朝の宣命と言ふものゝ模倣です。宣命の方が新しいと言ひますけれども、文章をあはせて見ないで、漠然と考へてゐるから、宣命の方が新しいと思へるので、祝詞の方が新しい。古い祝詞もあるでせうけれども、多くは平安朝になつて改作したものばかりが伝つてゐる。平安朝の宮廷で凡て、改作せられた中央政府のものが残つてゐる。ところが、宣命と言ふものは、天子が国語を以て出された詔勅で、これは平安朝になつてもあるけれども、奈良朝に出たものが続日本紀に沢山出てゐるのです。続日本紀に出てゐるものは、少くとも平安朝のものではない。ところが、祝詞は平安朝に出来た弘仁式と言ふもの、それからずつと時代が降つて、延喜時代の延喜式と言ふものになつて、始めて、今残つてゐる全部の祝詞が出来て来る。その中には古いものもあらうけれども、私は神代からあつた祝詞と言ふものはないと思ひます。なにしろ、神様と関係があるものです。だから、皆神代からあつたものが多い、と昔の人は言ひます。これは崇神天皇の時、これは天智天皇の時に出来たものである、と言ふ風に皆話をしてをりますけれども、根本が間違つてゐる。部分的には、非常に古いものも残されてゐるけれども、その部分は、入れなければ祝詞の価値がなくなるから入れてゐるので、一つの文章の中の、古い部分と新しい部分とを数へて、その新しい部分を計算すれば、大体訣るのです。兎も角、私は全体として、祝詞の方が宣命よりも、やはり新しいとしてをります。ところがこの宣命と言ふものも、昔の人は都合のいゝ事を考へまして、祝詞が宣命に似過ぎてゐるからして、実は宣命は古い祝詞の真似をしたんだらう、と言ふやうな事を昔の人は言つてをります。そんな事はないのです。つまり、祝詞と言ふものは古いものは皆亡んでしまつて、新しいもの、平安朝のものだけが残つた。一方、宣命は幸にも、それより古い頃のものが残つたと見ていゝのでせう。それから宣命の文法と言ふ事を言ふ人は、非常に正確な日本の国語学者として我々の尊敬してゐるやうな人でも、宣命に現れて来る文法と言ふ事をやかましく言はれてゐる。非常に正確な様に言はれてゐるが、その一歩前に行つたら無茶苦茶です。日本の散文で一番古い、とかう断定してゐるものゝ、実はこの宣命と言ふものも、その前の宣命の模倣なのです。その前に行けば、どんなものがあつたかと言ふと、まう想像なんですが、つまり、神様の仰つた言葉で、それを今度は宮廷で使つてゐる中に、だん/\天子様の仰ることになつた。つまり、天子様は一年の中のある時期には、神様と同じ資格におなりになるのですから、その場合、御出しになる言葉と言ふものは神様の言葉です。それ以外に御出しにたる言葉も、だん/\神の場合、人の場合と言ふので、書き分けてはゐたのでせうけれども、もとは区別はないのでせう。
大体、この祝詞、或は宣命と言ふものは、もとは書いてなかつたに違ひない。神様の言葉ですから書く訣はない。秘密で口を通じて言つてゐる間に、どん/\拡つて行つて、意味も訣らなくなつたけれども、神様の言葉だから、出来るだけ亡びないやうに保つて行きました。さう言ふ努力をしてゐる間に、次第々々に間違つて行く。訣つてをれば間違ひませんけれども、訣らないから間違つて行く。だから、幾つも訣らない言葉が出来て来る。訣らないけれども使つてゐるのでせう。祝詞は平安朝に出来たと思はれるけれども、その中で、最も古いと思はれる様なものを挙げて見ましても、訣らない言葉を拵へてゐると言ふ事は指摘出来ます。訣つて書いてゐると我々は思ひますから、一所懸命で解釈しますけれども、訣らないで書いてゐる文章と言ふものを、解釈してゐるのであつて、つまらない事の様ですけれども、それが我々の本当の仕事でせう。大体、我々の書いてゐる文章と言ふものは、訣つて書いてゐる事は少いでせう。口から出放題に書いてゐる文章が多い。ですから、口からの拍子に乗つて書いてゐるのですから、一々反省を加へてゐない。だから訣らない事の方が多い。併し、昔の文章にもそれが非常に多い。日本の文章の、散文と言ふものを考へると、そのとゞのつまりは宣命です。併し宣命より前に、それより古い前期祝詞と言ふべきものや、その前期祝詞から分化して来た処の、前期の宣命と言ふものがあるに違ひない。だから、宣命に現れてゐる言葉と言ふものには、前期の祝詞或は宣命の中の言葉が使つ
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