を発揮さして来たのです。ちやうど、今の若い小説家と同じことです。貧弱な語彙に、出来るだけ能力を発揮さしてゐる。言葉を余り知つてゐると、言葉が過剰で内容が出て来ない。言葉が少いと、内容をば工夫して出すから本当に出て来る、さう言ふ事がございます。かう言ふ平安朝に始つた昔の人の悪い考へを、今の人が真似てゐる。今の人の悪いのは、平安朝の書き物に出て来れば、その言葉は平安朝のものだと定める。或は奈良朝の書き物に出てゐるからとて奈良朝だと定める。が、そんな事はない。つまり、言葉と言ふものは、前の言葉が生きてをれば使ふんですから――或は生きてゐない言葉でも使ふのです。つまり、生滅しながら伝つてゐるのです。だから平安朝にある言葉、平安朝の物語、日記に出てゐる言葉だからと言つて、平安朝で使はれてをつたとは定りません。それと同時に、平安朝以前の言葉で、平安朝では使はれてゐなかつたとも言へません。さう言ふ種類の言葉をば、沢山探し出す事が出来ます。つまり、平安朝の物語、日記類に出てをりまして、而もその用語が平安朝に生きてをつたものか、或は既に死んでしまつてをつたものか、それが疑問になる言葉が沢山あると言ふ事です。それは、私は少くとも強いことが言へると思ひます。と言ふのは、平安朝の物語、日記の言葉の索引をとつた事があります。それは何の為にとつたかと言ふと、民俗学的の材料があるかと言ふ事と、それから、私は又一方に、言語の興味を非常にもつてをりますから、その言語の歴史を調べる意味でゞあります。大体二つの意味からとつたのですけれども――人にとつて貰つたんですけれど――今日それは殆ど、役にたちません。自分で役にたてないでゐるものもありますのですけれど、平安朝の語彙が如何に貧弱であるかと言ふ結論は、出してもいゝと思ひます。非常に貧弱です。あれだけの書物があるから、どんなに語彙が豊だらうと思ふかも知れませんけれど、全然反対です。殊に民俗学に関する材料は非常に少い。少いものを我々は料理しすぎる。ですから、そのうちから出来るだけ生かして来て使ふやうにと、かうしてゐる訣です。
平安朝の言葉にわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言ふ言葉があります。瘧のことをわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言つたのは疑ひない。はつきり、瘧に違ひないのです。併し、それを何故わらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言ふのかと、言ふと、大胆な想像を駆つて、この瘧になると髪なんか振乱して苦しむからわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言ふのだ、と言ふ説もある。さう言ふ愚説を沢山集めての国語研究も必要なんです。愚説と知りながら集めなければならぬ。今の万葉研究者は愚説を賢説と誤つて研究してゐるのですが、万葉は余り研究せられて、万葉研究は止めたらいゝと思ふ程、どんな山奥でも万葉研究をしてゐる。山奥だつて出来ない訣はないけれども、自分等の職業意識を働し過ぎて、つまらぬ研究は止してしまへばいゝと、虫のいゝ事を考へてゐる位なのですけれど、どうも余り誤り過ぎてゐる。而も昔の人の愚説ばかりを並べてをつて、賢説と同じに扱つてゐる。愚説は、賢説の発生する順序として見るより為方がない。愚説と賢説との区別をしないでやつてゐるその研究態度は、非常に悪い。愚説の陳列を学問と思つてはいけません。その最後に自分の賢説を附添へて置かなければなりません。――我々はわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]などゝ言ふと訣らぬが、言葉は訣つてゐる。その上訣らないでもいゝではないかとも言へますが、まる/\訣らなければそれでいゝのですが、わらは[#「わらは」に傍線]と言ふ言葉は訣つてゐる。又やみ[#「やみ」に傍線]と言ふ言葉も訣つてゐる。だからまう一つ訣らないと気持が悪い。私は知りませんけれども、事実ある地方では瘧の時坊主が出て来て――子供だつたのでせう――子供がそつと来て、蒲団の上に乗るんです。さうするとふるひだす。行つてしまふとふるはなくなる。出て来ると又ふるふ。さう言ふ事を申します。だからわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言ふ事は訣りますね。多分、ではない、さうに違ひないと言ふ事が出来ます。

     三 文学者の階級と言語伝承と

民間伝承の種類を私が申す必要はないんですけれども、私の話が国語に関する事ですから、いきほひ、その他との限界をつけなければなりません。つまり、言語を以てする伝承、所謂言語伝承。それから物を以てする伝承、物体伝承とでも名前をつけて置いてよろしいでせう。それから行動を以つてする伝承、行動伝承。それから心を以つてする伝承、心意伝承。これは柳田先生が、心意現象と言ふ事を言ひ出されまして、他ではさう問題になつてゐないやうですけれども、我々は新しく人間の心意の上の、心の上に伝へられて行くものに就いて、観察しなけれ
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