事をなさつた為に、地上の民の我々が、共同にこれだけの禍ひを受け、それでその為の贖罪、あがなひ[#「あがなひ」に傍線]をする、とかう言ふ風に思つてゐたのです。さう言ふ風に、昔の人は考へてゐたらしい。併し、その昔の人の考への、まう一つ先を考へて見ると言ふと、何故地上の民である我々が、贖罪しなければならないかと言ひますと、つまり、もとは霖忌であつたのを、一度天に上げて、それを地上へ降して来ると言ふ事になつて来た。難しくなつて来た訣です。
私はもう十年以上も前に、壱岐の島へ二度も行きました。そこでくさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]と言ふ言葉を聞き、その時分、珍しい言葉だと思つてをりました。けれども、これは西日本では分布の広い言葉です。兎も角、壱岐の島で瘧《オコリ》――まらりや[#「まらりや」に傍線]です――に罹ることを、くさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]と申してをりました。けれども、その時直に思ひ浮んだのは、くさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]とくさつゝみ[#「くさつゝみ」に傍線]との関係です。関係がありさうに思ふだけで説明は出来ない。そこへ無闇に、聯想の赴く儘に任して材料を集めてをれば、牽強附会になるので、訣らない限りは放つて置くより為方《シカタ》がないですから、放つて置いたのですけれども、どうも関係がありさうです。このくさつゝみ[#「くさつゝみ」に傍線]と言ふ言葉は、くさつゝみ[#「くさつゝみ」に傍線]・やまひ[#「やまひ」に傍線]とかゝつて行く言葉で、枕詞ですが、何故、くさつゝみ[#「くさつゝみ」に傍線]がやまひ[#「やまひ」に傍線]の枕詞なのかは訣りません。近年、柳田先生は、方言研究に非常に情熱を持たれまして、方言研究の流行と言ふものを起されました。流行の頂上へ登り詰めて、この頃本格的の研究時期に這入つてる訣でせう。――併し、それと同時に先生は研究をやめて、他の研究の方へ移つてしまはれるのですけれども、眷族共は残つて研究してゐる訣です(笑声)。どうも、柳田先生なんて言ふ方の後の者は災難です。けれども、世間ではさうではない。或は方言研究の流行は今が頂上の時代です。それから先生は昔話の研究の方に行かれたのです。昔話の研究でも、きつと研究の奨励をして他に行かれるに違ひない。さう言ふやうに動いて行かれた後は、非常に学問的の意味がありますから、見てゐるのですけれども――先生はくさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]と言ふ言葉はくたぶれる[#「くたぶれる」に傍線]と言ふ言葉と同じ意味だと言つてをられます。どうもさうかも知れません。違ふと言ひかねる程、何か内容があるやうな説です。くたぶれる[#「くたぶれる」に傍線]、くたびれる[#「くたびれる」に傍線]と言ふ言葉は、くさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]と言ふ言葉とは関係が深さうです。壱岐の島では瘧と言ふのは、ふるふ[#「ふるふ」に傍線]と言ふ事に主に言はれてゐるのだと思ひます。それに、先生の説明してゐられるのによりますと、くさ[#「くさ」に傍線]と言ふ言葉は、病気を意味する。大体そんな言葉で、外からついて来る病気です。外からついて来ない病気はさうないでせうけれども、外から忽然とくつ着いて来る病気をくさ[#「くさ」に傍線]と言ふ。つまり、かさ[#「かさ」に傍線]をくさ[#「くさ」に傍線]とかう言ふのだ、とさう言ふ風に言つてをられますけれども、さうはつきり定めてしまへるかどうか、今はまだ問題です。併し、兎に角、くさつゝみ[#「くさつゝみ」に傍線]と言ふ言葉のつゝみ[#「つゝみ」に傍線]と、「天つ罪」のつゝみ[#「つゝみ」に傍線]とだん/\似て来ます。似た姿を曝け出して来るやうに思ひます。くさ[#「くさ」に傍線]に対する物忌み、だから病ひと言ふことになるんでせう。くさ[#「くさ」に傍線]と言ふ言葉の意味がまだ定らないものですから、まだ考へなければなりませんけれども、こんなのはやはり、方言から行くより為様がありません。なにしろ書き物が残つてゐないのですから、価値のまだ定つてゐない方言から、それを証明して来るのが本当だと存じます。
それを、言葉と言つていゝかどうか訣らぬけれども、平安朝の終りに来て――平安朝の前から言つてゐるかも知れません――我々の書き物には平安朝から現れてゐる事なんですが。――どうも平安朝と言ふ時代は語彙が非常に少くて、而も語彙は少いけれども書き物の非常に多い時代です。換言すれば、書き物に現れる語彙が少い、つまり、少い語彙を以つて沢山のことを書いてゐる時代です。書いてゐる人々は、宮廷に、或は貴族に仕へてゐる女か、さうでなければ、その女等の文章の真似をした人なんですから、大体宮廷、貴族に仕へてゐる、即ち、女房と言ふ階級の人達だつたのです。それで、その女房の貧弱な語彙に、出来るだけの能力
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