の言葉が出てをります。まあ、万葉集を中心として、まう少し古いものは、古事記・日本紀などゝ言ふ書物に、遺つてをります。併し、殆ど、同じ時代に出来た書物ですけれども、何と言つても、万葉集に記録してゐる言葉と、それから、その言葉の組合せとに依つて、含まれてゐる考へ方と言ふものを見ますと言ふと、万葉集のものは、古事記・日本紀のものよりも新しいんです。総べて、古事記・日本紀・万葉集などゝ言ふものに、書いてある事の時代の定め方、つまり、この御歌は雄略天皇がお作りになつたとか、この御歌は神武天皇がお作りになつたとか、この御歌は大国主命がお作りになつたとか、言ふやうなことは、総べて解き離して、自由にして考へるのが、本当なのです。つまり、言葉として扱ふ上に、自由にして考へなければ、到底何も訣りはしないのですけれども、大体先づ、其の位の目安で行つて良いと思ひます。
言霊の幸ふと言ふ言葉は、万葉集を中心とした言葉ですが、やはり、同じ時代に出来た言葉か、或はまう少し古いかも知れませんが、「天つ罪」「国つ罪」と言ふ言葉がございます。この天つ罪と言ふ言葉、国つ罪と言ふ言葉は、日本の古い神道では一番大切な言葉で、一番大事な言葉と言ふのはどの言葉か、と言はれると、必ず、昔の人は、天つ罪と言ふ言葉を挙げたと思ひます。近頃、筧と言ふ人が出て来て、「かむながらの道」と言ふ事を唱へまして、惟神《カムナガラ》と言ふ言葉が、非常に重大性重要性をおびて来ましたけれども、もつと天つ罪・国つ罪と言ふ言葉の方が、もとは皆よく知つてゐたでせう。中臣祓――大祓とも言ひますが――のうちに這入つてゐる、有力な件りでありますから。言葉の形から見ますと、天の罪・地上の罪と言ふ事になるんですけれども、私が若い時分に、柳田先生の所に通ひ始めた――通ひ始めるは可笑しいですね。通学ではないんですから(笑声)――その時分に、先生から問題として出されまして、「天つ罪と言ふものを君はどう思ふか」と言うてをられた事を覚えてをります。国つ罪と言ふ事が、地上の罪と言ふ言葉でございますならば、天つ罪と言ふ事は、天上の神の罪と言ふ事にならなければならない訣ですけれども、さう言ふ与へられた問題が、何時迄も釈《ト》けないで、憂鬱に頭にたまつてゐるんですね。人間はやはり、さう言ふ憂鬱さ、それが釈けないと言ふ憂鬱さがあつて、それが突然何かの機会に突当つて、湧然と飜然と訣つて来るのでせう。つまり、感情的な一つの解決、「悟り」ですね。多くまあその悟りに、科学的な衣を着せて、これは悟つたのではなしに、かう言ふ偉大な組織を持つた科学から、完全に出て来たのだ、と言ふやうな顔をする事になつてゐるのですけれども、根本はやはり、悟りでせうね。天つ罪と言ふ言葉を、先生に与へられたことが、ひんと[#「ひんと」に傍線]になつてゐると思ひますが、どうもその後、その事は忘れてしまつてをつたやうに思ひます。
万葉集に現れて来る天つ罪と言ふのは、祝詞などに出て来る天つ罪とは違ふのです。万葉集に「雨障常為公者《アマツヽミツネスルキミハ》 久堅乃《ヒサカタノ》 昨夜雨爾将懲鴨《キノフノアメニコリニケムカモ》」(巻四)と言ふ歌がありますが、この場合、あま[#「あま」に傍線]と言ふ言葉は降る雨なのです。つゝみ[#「つゝみ」に傍線]と言ふ事は、雨に対しての慎み、雨の物忌みですね。雨の降る時分の、或は雨に対する物忌み、と言ふ事を意味するらしいのです。雨が十日間も降つたら、十日間も私のところに通うて来ない積りですか、と言ふやうな場合ですね。女が、何故来なかつたかと言ふと、雨が降つたからだと言ふ風に言ひ抜けをする。それぢや雨が十日も二十日も降つたら来ない積りなんですか、と女が捻ぢ込んだ。さう言ふ意味に、あまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉が使はれてをります。万葉に一つ、一つではありません、二つあつたと思ひます。
ところで併し、この「雨の慎み」と言ふあまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉が、天上の罪と言ふ事を意味するあまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉とは、別々の言葉か、別々の言葉でないか、それは訣らないのです。世の中には同じ形を備へてをりながら、全然別々な意味の言葉がございますね。併し、違ふ事を同じ様に言つた場合、人は聯想しますから、全然別な言葉を一つにしてをります。
いとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふ言葉は、平安朝で有力になつたが、どうも、もとは「嫌だ」と言ふ事らしい。「厭ふ」と言ふ言葉を語根にしてをりまして、それを形容詞に活用させて、いとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふんだが、どうも、嫌だと言ふ事に使つたのが第一義らしい。ところが、平安朝の物語になると、このいとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふ言葉は、後の室町時代になつて盛んに
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