て参ります。だから明治以後の日本人と言ふものは、造語の苦労と言ふ事は殆どしてゐない。或時期は仏教の言葉で苦労して、言葉を作つて来ました。それから、後に仏教の言葉で間に合はぬやうになつて来ると言ふと、辞書から漢字を引き出して、二つ宛くつ附けて行つた。漢語は煉瓦と同じ事ですから、積んで行けば一つのものが出来る。一語々々に意味があるのですから組合せて行けばどんな事でも出来ます。支那人は自分の言葉だから、これは困ると思ひますが、日本人はよその言葉だから鈍感で、どん/\作つて、言葉で導いて行くから、無闇に言葉が出来て来る。それから他に、学術語と言ふものは、別の飜訳語を使ふよりも、原語を使つた方がいゝと言ふ事で原語を使ふのですから、どん/\言語は殖えて来ます。それが次第に、原語でなくてもいゝ事にまで原語を使ふやうになり、しまひには何処の言葉か訣らない、いぎりす[#「いぎりす」に傍線]の言葉か、どいつ[#「どいつ」に傍線]の言葉か、ふらんす[#「ふらんす」に傍線]の言葉か訣らない。それは西洋でもさうでせうけれども、そのまゝになつてしまつてゐる。兎に角、再び繰返しますが、我々が聯想の範囲をば外国の言葉の上で出来るだけ深めてゐると言ふ事は悪いとは思ひませんけれども、造語能力が減退すると言ふ事は、もつといけない事なのです。
これを逆にもつと申しますと、田舎の、ものを知らぬ人々は、――尤も、まるきりものを知らぬと言ふ人は、今では殆ど、なくなつたけれども、兎に角、自分が有識階級でないと言ふ事を知つてゐる連衆《レンジユウ》と言ふものは、気取つた物言ひと言ふ事をしません。だから、方言を見ますと言ふと、一寸漢語がゝつたもの、外国語がゝつた言葉は、何処か必ず、曲つてゐる。知識が浅いから、自然曲つて来るものが沢山ありますが、自分は知識階級ではない、無識階級だと言ふ事を標榜してゐる言葉が沢山あります。我々がはじめ痛感したのは、旅順港が落ちるか落ちないかゞ問題になつてゐた時分、その時分は私共の中学時代ですが、旅順港と言ふ事を言へる人々も、わざ/\じよじゆん[#「じよじゆん」に傍線]港などゝ言つてをりました。それを言へない連衆なんかは旅順の上にまう一つくつ附けて、どでん[#「どでん」に傍線]港なんて言うてゐました。話をしてるから訣りますけれども、話がなかつたならば訣らない。これは旅順港と言ふ言葉が言へない
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