春の始めに、代掻きの舞ひを舞つたり、植付けの舞ひを舞つたり、刈上げの舞ひを舞つたりする、「春田打ち」など、皆神様が来てゐるものとして、慎んでをつた。だから、このあまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふのも、霖雨期の物忌みだらうが、それが同時に、「天上の罪」だと言はれてゐるところの、「天つ罪」の内容の説明になつて来る。古事記、日本紀の「天つ罪」として勘定してゐるものを見ますと、総べて、田に関係がある。田に関係のないものはないのです。田の植付けから刈上げ祭りまでの間に、慎みをせなければならぬ事を犯した、物忌みすべきをせなかつたことに対する個条をば、「天つ罪」として勘定してゐるのです。さうすると、我々の考へ方を申しますと、「天つ罪」と言ふのは、昔の人が天の罪と考へてゐたゞけで、却つて、万葉集にあるところのあまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉の意義である、雨の物忌み、まう少し言ひかへれば、霖雨期の謹慎生活、禁慾生活と言ふ方が古いのです。即ち「霖忌《アマツヽミ》」です。
それが、だん/\天の罪と言ふ風になつて来た。それは、罪と言ふ言葉と、慎みと言ふ言葉と、つゝみ[#「つゝみ」に傍線]と言ふ言葉とは同じである、とかう言はれてをりますが、更に日本語のつ[#「つ」に傍線]には、所有格を表す一つの使ひ方がありますから、そのあま[#「あま」に傍線]をば天と言ふ風に考へれば――日本語では天も海も雨(霖)もあま[#「あま」に傍線]です――つ[#「つ」に傍線]が直にぽせしぶ・けーす[#「ぽせしぶ・けーす」に傍線]になつて、霖忌は「天の罪」となります。だから、天つ罪と言ふ事を、こと/″\しく言うてをりますけれども、国つ罪は割合にやかましくなく、厳密に個条を数へてもゐないのです。古いものでは、国つ罪の事を、別に、やかましい意味だと怖れてはゐません。ですから、天つ罪と言ふ言葉をば考へ出して後に、国つ罪と言ふ言葉を拵へた、拵へずとも自然に出来て来る訣です。
かう言ふ風に考へて行きますと、つまり、神道の重要な天つ罪国つ罪、と言ふ言葉が、我々の生活内容としても不適当でない程に、かう言ふ親しさを持つて来ます。素戔嗚尊が天の上でなさつた悪戯だけをば、天つ罪と言つてゐるが、その天つ罪が何で地上の我々に関係があるかと言ふことは、昔の人は説明してゐない。つまり、我々から説明すると、素戔嗚尊が天上で悪い
前へ 次へ
全45ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング