と飜然と訣つて来るのでせう。つまり、感情的な一つの解決、「悟り」ですね。多くまあその悟りに、科学的な衣を着せて、これは悟つたのではなしに、かう言ふ偉大な組織を持つた科学から、完全に出て来たのだ、と言ふやうな顔をする事になつてゐるのですけれども、根本はやはり、悟りでせうね。天つ罪と言ふ言葉を、先生に与へられたことが、ひんと[#「ひんと」に傍線]になつてゐると思ひますが、どうもその後、その事は忘れてしまつてをつたやうに思ひます。
万葉集に現れて来る天つ罪と言ふのは、祝詞などに出て来る天つ罪とは違ふのです。万葉集に「雨障常為公者《アマツヽミツネスルキミハ》 久堅乃《ヒサカタノ》 昨夜雨爾将懲鴨《キノフノアメニコリニケムカモ》」(巻四)と言ふ歌がありますが、この場合、あま[#「あま」に傍線]と言ふ言葉は降る雨なのです。つゝみ[#「つゝみ」に傍線]と言ふ事は、雨に対しての慎み、雨の物忌みですね。雨の降る時分の、或は雨に対する物忌み、と言ふ事を意味するらしいのです。雨が十日間も降つたら、十日間も私のところに通うて来ない積りですか、と言ふやうな場合ですね。女が、何故来なかつたかと言ふと、雨が降つたからだと言ふ風に言ひ抜けをする。それぢや雨が十日も二十日も降つたら来ない積りなんですか、と女が捻ぢ込んだ。さう言ふ意味に、あまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉が使はれてをります。万葉に一つ、一つではありません、二つあつたと思ひます。
ところで併し、この「雨の慎み」と言ふあまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉が、天上の罪と言ふ事を意味するあまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉とは、別々の言葉か、別々の言葉でないか、それは訣らないのです。世の中には同じ形を備へてをりながら、全然別々な意味の言葉がございますね。併し、違ふ事を同じ様に言つた場合、人は聯想しますから、全然別な言葉を一つにしてをります。
いとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふ言葉は、平安朝で有力になつたが、どうも、もとは「嫌だ」と言ふ事らしい。「厭ふ」と言ふ言葉を語根にしてをりまして、それを形容詞に活用させて、いとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふんだが、どうも、嫌だと言ふ事に使つたのが第一義らしい。ところが、平安朝の物語になると、このいとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふ言葉は、後の室町時代になつて盛んに
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