れたのが、此尾薄・黒尾の命婦たちなのであらう。尾が裂けてゐたからなのなら、他動にをさき[#「をさき」に傍線]とは言はぬ訣で、屡《しばしば》、人の手に尾を裂いて残すなど言ふ考へを、含めてゐるのではあるまいか。
応仁の焼亡の後、尾薄命婦の社も、或は黒尾も此まで同様、祠は建てられなくなつて、神体の石ばかりが残つて居り、再、稲荷の社が興隆した頃には、名も存在も、人から忘れ去られて、さしもの命婦たちも、荼吉尼を呪《ジユ》する験者に誘はれて、旅の空にさすらひ出で、鄙のすまひに衰へては、験者の末流を汲む輩の手さきに使はれて、官|奪《メ》された野狐となり、いづな[#「いづな」に傍線]の輩に伍して、思はぬ迷惑を人々にかけたことであらう。今日尚、をさきもち[#「をさきもち」に傍線]・をさき筋[#「をさき筋」に傍線]など言ふ家々の祖先には、或は、是非なく「山出で」をした命婦たちと、合体してゐた験者のひこ[#「ひこ」に傍線]のやしやご[#「やしやご」に傍線]の、其又ひこ[#「ひこ」に傍線]など言ふてあひ[#「てあひ」に傍点]が、あるのかも知れぬ。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平
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