(ノ)]命婦と言ふ名目まで、同社に伝はる「天正の記」と言ふ物には、見えてゐるさうである。明月記・後鳥羽院御記・業資王記などの、稲荷詣での記事の抜き書きで見ても、必しも一社とは、見られぬ命婦社の名が、散らばつてゐる。
身柄はさのみよくもなくて、世馴れた顔にさかしらだつて後宮に立ち交る古女房みやうぶのおもと[#「みやうぶのおもと」に傍線]の名は、此滑稽味を持つた眷属殿には、事実、うつてつけのあざ名である。
此奏者の筈の命婦社の勢力が侮られぬものとなり、一山|荼吉尼《ダキニ》化の傾向を示したのは、後期王朝中葉からの流行と見える。かの天部の呪法の影響であらう。冒涜の嫌ひはあるが、稲荷、東寺のくされ縁は、此処にも見えるのである。狐媚盛んに世に行はれ、福利の神と迄なり上つたのは、荼吉尼法の功徳を説いた、東寺真言の手が見える様に思はれる。
軒端を貸した秦の氏神が、母屋までもとられて、山を降つたものとすれば、客人神《マラウド》は、蓋《けだし》、其後、命婦の斡旋によつて、愈《いよいよ》、動かぬ家あるじとなられた事であらう。
武家の世になつては、命婦・専女《タウメ》の古御達《フルゴタチ》が、公家程には顧み
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