使はれてゐるうちに内容が多くなり、含蓄が豊富になつて来たものに違ひない。即ち其は「あはれ……にてあり」として、その中間に挿入した言葉が沢山あつたのだ。つまり、あはれ[#「あはれ」に傍線]に限定された感情の種類が幾つもあつて、其等があはれ[#「あはれ」に傍線]にだけ、印象的に残つて来て居るのだと思ふ。その為に、我々には、あはれ[#「あはれ」に傍線]の内容が幾通りにも考へられるのである。
かなし[#「かなし」に傍線]も同類で、「かなしく……あり」の形で使はれた時代があつて、その中間に囲まれた言葉が幾つもあつた。其等の意味が、かなし[#「かなし」に傍線]の一語の中に含められ、いろ/\の表情を潜めて来る訣である。尤、かなし[#「かなし」に傍線]だけには少しく問題はあるが、今まで挙げて来た例は、皆それで説明出来る。

       一〇

平安朝では、副詞が非常に発達して居る。平安朝の言葉は、宮廷の言葉、即ち一種の内裏語で、非常に洗練されたものである。それにもう一つは、当代の文献が夙に好みを持たれて研究せられた。同時にその時代の調子の歌が多く行はれた。この二つの理由が、日本の文法を平安朝を基礎として出発せしめて来たのである。平安朝の言語の、美しく見える必然性はあるが、平安朝以外にも、それ/″\言語の美しい時代は勿論あつた訣である。奈良朝にも、美しい型の出て来てゐるものが見られる。ともかくも内裏語といふものが、前代以来だん/\完成に近づいて来た時であるから、その時代に日本語の、古くから特徴を持つてゐた副詞が発達して来るのは、訣ると思ふ。形容詞には、発達せぬ理由があつた。つまり、副詞とあり[#「あり」に傍線]とで形容詞を作つて居り、言はゞ大きな形容詞句を作つて居つたのだ。だから副詞が発達したのは、その句から独立してゆくのであるから、同時に形容詞が発達したのと同じことになる。その証明として、最後にもう一つだけ例を挙げて置く。
いとゞ[#「いとゞ」に傍線]といふ語は非常に特徴のある語であるが――。
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いとゞしく過ぎゆく方の恋しきに、うらやましくもかへる波かな(伊勢物語)
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いとゞしく[#「いとゞしく」に傍線](同時にいとゞ[#「いとゞ」に傍線]も)はひどく[#「ひどく」に傍線]といふのではない。「一層ひどく」である。ところが、実際の用語例を見ると、いとゞしく[#「いとゞしく」に傍線]もいとゞ[#「いとゞ」に傍線]も、「さうではなくとも、かう/\だのに一層……」といふ意味に使つて居る。つまり、いとゞしく[#「いとゞしく」に傍線]が、文章のたゞ一ヶ所に関係を結んでゐるだけでなく、一ヶ所以上に関係がある。
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年を経て、住みこし里をいでゝいなば、いとゞ深草野とやなりなん(伊勢物語)
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の歌でみても、「さうでなくても草の深いところだのに……」といとゞ[#「いとゞ」に傍線]は深草に関係し、同時に「いとゞ野とやなりなん」にも係つて居る。かういふ風に、副詞の中には、両頭を持つたものがある。源氏物語の中でも「もとより荒れたる宮のうち、いとゞ狐のすみかになりて……」(蓬生)初手から荒れてゐた常陸の宮のお邸が、その後、一層ひどく荒れたことを言ふところだ。即ち、「さうでなくてすらも荒れてゐたお宮のうちが、一層ひどく……」で、この場合のいとゞ[#「いとゞ」に傍線]は、「荒れたる」に関係を持ち、同時に、文法的に言へばなり[#「なり」に傍線](すみかになり)に係つてゆく。いくらでも例はあげられるが、とにかく、かういふ風に、頭と尻尾に、二つひつかゝる。さうして、殆どの場合、其語のつかなければならぬ完全な文法的の位置には居ないのである。ずつと、文章の先の方へ出て行つて了ふので、其為に、どの語に係つてゐるか訣らぬ程、それだけ又効果が広く及ぶ訣でもある。文法式の文章の論理からは、外れよう/\として居るのだ。出来るだけ自分達の職分を伸ばしてゆかうとして、幾様にも感じをつけてゆくのである。決して、簡単に、この語はこゝに係るなどとは言へない。係れるだけ、拡がつて係つて居るからだ。つまり、出来るだけ副詞の職分を拡張し延長しようと努めて来たことが察せられる。
後期王朝時代が過ぎて武家の時代になり、寺家の生活が入り、農民の生活が入つて来ると、言語の中心は、何時までも内裏語だけではぢつと[#「ぢつと」に傍点]してゐない。それは文学語として固定して了ひ、一般の言葉は、又新しい中心を求めて、長い煩悶を続けてゆくのである。



底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
   1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「昭和十四年度国学院大学夏季国語教育講座講演筆記」
   「国学院雑誌 第四十六巻第三号」
   1940(昭和15)年3月
※底本の題名の下に書かれている「昭和十四年度国学院大学夏季国語教育講座講演筆記。昭和十五年三月「国学院雑誌」第四十六巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年4月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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