る態度が見られる。
譬へば、瓊瓊杵尊が御成人遊されて、葦原の中つ国にお降しなされても差支へない事になつた時(記では、お降りになる時は緑児であらせられたかの如くに記述してゐるが)、天降りの御様子を叙した一節に、記には、「於[#二]天浮橋[#一]宇岐士摩理、蘇理多多斯弖[#ここから割り注]自宇以下十一字亦以音[#ここで割り注終わり]」とある。紀では本書と一書とに二ヶ所出てゐて「立[#二]於浮渚在平処[#一]」と書き、之を古註に「羽企爾磨梨他毘邏而陀々志」としてゐる。紀を書いた折に加へられたものであるとすれば、紀はさう訓むつもりで書いた、といふことになるが、どうもこの古註は、後からのものであることを見せてゐるやうだ。さう訓むのなら、こんな宛て方は甚だ下手である。他の所は、もつと上手に宛てゝゐる。更に一書には「浮島なる」とも訓まして居るが、ともかく時代の相違はあるけれども、記紀でこの二つの訓み方が両立して居り、紀の方に別訓の伝へがある、といふことになる。もとは、記と紀では殆ど一つで、ごく小部分の伝へだけが違つてゐるのかも知れぬ。たゞ我々には、之を本道に訓むことが出来ぬ為に、両立してゐる様に見え
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